東京永久観光
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頭が悩むタイプ No: 301 [返信][削除]
 投稿者:Junky(管理者)  02/02/15 Fri 02:46:54

埴谷雄高論――『死霊』と<子供>
http://www5c.biglobe.ne.jp/~sugita/haniya.htm
絶望の断崖を自ら訪ねてきて、それでも身投げはけっしてするまいといった、
論者の真摯な前向きさが際立っていると思いましたね。
それは、たとえば、こんな感じ。

《1966年、ロンドンで行われたオノ・ヨーコさんの作品展示会にジョン・レノンが訪れたのです。その時展示されていてジョンが非常に感銘したのが「Ceiling Painting(天井の絵画)」という作品。はしごに昇ってぶらさがっている虫眼鏡で天井を見ると小さな字で「Yes」と書いてあるのです。この作品を見てジョン・レノンは「『No』ではなく『Yes』と書いてあってほっとした」と言ったそうです。この作品はのちに「出会いの作品」として有名になりました。》
http://www.pomato.co.jp/entertainment/kaoriko/2001/nyreport/01/page.2.html

それにしても、難易度はAAAかも・・・
したがって、以下はただ無闇に付け加えるだけですが・・・。

私はときどき自分が、心で悩まず頭で考えるタイプかと思ったりします。
小説であれ論文であれ、とにかく文章を読んでいると、
ふと、これは心が悩んでいるのではなく頭が悩んでいるのだな、と思うわけです。
頭の方が「痛い」とか「痒い」とか呟いているわけです。
「心の痛み」「心の痒み」体験そのものではない。
しかし、およそ言葉というものは、体験を直接なぞることはできません。
我々が言葉を使う以上「頭が悩む」という枠からは逃れられない。
そういうものですね。

しかしながら。
難解な悩みは、難解な言葉で現わすしかないのだとしても、
それを生活上の具体的な悩みを通して語ることができれば、
いくらか馴染みが出てくるように思います。
たとえば「私が私であることの不快さ」ということも「それはつまりこういうことですよ」と。
それともやっぱり、埴谷雄高や研究者・批評家たちは、
そうした生活上の悩みとはそもそも違う、
具体的な悩みに還元したのでは語ったことにならないような、
抽象的な観念を悩んでいると思うほうが、より正しいのでしょうか。

ところで、『官能小説家』は、
官能とは、言葉と同じく、他者に向けた、かりそめの掛け橋にすぎないけれど、
私と他人とに掛ける橋があるとしたら、その二つしかないし、
言い換えれば、
それらの橋を掛ける可能性だけは、我々に残されている、
そんなことを思わせる、良い小説でした。


オリジナル度A No: 300 [返信][削除]
 投稿者:まさはる  02/02/13 Wed 22:09:45

Junkyさんがリンクしてる人の埴谷論を、前に読んだのですが、僕の知る限り、オリジナル度Aの考氏翌ナした.


ところで、そこで論じられているのは<子供>という他者の問題であり、それが埴谷の中心概念である虚体と接続され、

それは僕の中でかねてから考えられつづけていたことと絡まってきて、入不二基義の相対主議(と実在論)論を経由して世界=言語としての<私たち>から反復的に逃れ行く何か(逃れ行くという仕方ですら捉えられないように逃れている何か)としての虚体の問題とも絡まり,

その捉えられなさ・語り得なさが永井均の独我論とも関係し、

ちょっと方向が違うけど、いわゆる文学分野では例えば高橋源一郎が自覚してる、何かを書くということ自体が孕む根底的な権力・欲望の問題なんかともまた関係し、

独我論でいう<私>に、絶えざる離反という性質ではなく、離反の運動自体からの離反、すなわち全き未生を見出そうとする入不二の指摘も想起され、

となると、未生に対して、既に存在しいるものとしての私たちの在りようを、
どう捉えるのかということになり、埴谷の『死霊』はこの地点で書かれたのだろうし,

ニヒリズムの反転で無底の世界をそれ自体で祝福するという方向に行く、ちょっと単純過ぎるのではないかとも思えるけど,そう考えるしかないよなという古東哲明の議論と表裏一体の態度になるのだろうし、

結局,自分がなんだかよく分からないけど、私たちとして言語的に存在している、この不思議(あるいは奇跡、あるいは罪、あるいは・・)の問題がいよいよ問題となってくるのです.

卒論(埴谷論)をリバイズする形でここらへんのところを、すっきりと(というのはことの性質上ほとんど無理なのだけど)まとめてみたいと思いつつ,時間はなし。

へんなかきこみですいません。

いつも王子駅で乗り換えてバイトに行ったり、帰省したりしてました。


Junkyさん、ありがとうございました No: 299 [返信][削除]
 投稿者:あや  02/02/13 Wed 22:07:14


いつも王子駅で・・・ No: 298 [返信][削除]
 投稿者:Junky(管理者)  02/02/13 Wed 00:44:30

笑。
でも私は、あれだけで、王子駅に一度降りてみようと思いました。


語りうるわけでなく、語れないわけでもなく、ただ語ること No: 297 [返信][削除]
 投稿者:Junky(管理者)  02/02/13 Wed 00:38:28

反省することも、情けなくもない、というふうに言いたいのですが、
しかし、それはあやさんご本人、そしてご本人どうしのことなので・・・

それでは、気分転換に、たまたま見つけた文章をひとつリンク(難易度A)。
これまでのやりとりとどう関係するというのでもないのですが、
もしかしたら、
じわじわ効いてくる滋養強壮の薬(毒?)になるかもしれない、と。

http://www5c.biglobe.ne.jp/~sugita/kao.htm


反省しています No: 296 [返信][削除]
 投稿者:あや  02/02/11 Mon 22:21:24

このところ、こちらの掲示板にいろいろと書き込んでいましたが、自分が書き込んでいたものを改めて読み返して、つくづく自分に嫌気がさしています。
最愛のなんのと、何で人に声高に言わねばならなかったものか、自分で思っているだけでよいようなことを、どうして人に言っているのか。
彼女に断りもなく、彼女の知らぬところで彼女のことを全て知っているかのように語っている。それは自分では、自分以上に彼女のことを知っている人間はいない、と強く思っていてもだ、そういうことを声高に他者に言うのは変だ。自分の中で治めていればよいことを、言葉にしたくて仕方なかった自分が確かにいて、私は人に語ることで何を確かめようとしたのか、などと考えると、つくづく情けない。

以上は全て、私自身が起こした問題です。人に問われたから起こった、のではなく、もともとこういうことを起こすような要素が自分にあったからこそ、当然のものとして起こった、問題です。こういう情けない者にいろいろとご質問くださった方、申し訳ありませんでした。ただ、言葉にしてみて初めてわかった、ということもあり、そして自分の情けなさが自分自身にちゃんと露呈した、ということはよかったと思います。


いつも王子駅で・・・ No: 295 [返信][削除]
 投稿者:たぐち  02/02/11 Mon 18:16:47

いつも王子駅の近所の本屋で働いているたぐちです。
思っていたよりも王子が出ていなくてショックでした。


YUGE●さん、ようこそ No: 294 [返信][削除]
 投稿者:Junky(管理者)  02/02/11 Mon 01:02:41

霊の作品とは、きっとこれ(リンク)のことですね。
予想したのとはたぶん違うでしょうから、もうしわけないのですが。

http://www.mayQ.net/rei2.html


 No: 293 [返信][削除]
 投稿者:  02/02/11 Mon 01:00:23


理屈の殿堂 No: 292 [返信][削除]
 投稿者:Junky  02/02/11 Mon 00:54:56

PC(political correctness)の観点からは、
「性倒錯」という言葉はイエローカードだったかと反省もしています。
そうすると「ホモ」や「われわれ普通の男」もなんとなく引っ掛かかりますかね。
あるいは「私は同性愛ではないけれど」と断りを入れること自体、
同性愛を自覚する者にはいくらか苦痛だというのが、正しい判断でしょう。
ということで、
今は、PCとは別種のとても貴重な話をしていると思うので、
だからこそ、PCの話に流れないためにこそ、PCを意識してみました。

それはさておき・・・



「男が男を愛する」「女が女を愛する」という事態は、
「性行為を伴う・望む」と考えられがちですが、
「性行為を伴わない・望まない」場合もありうると考えた(言った)ほうが、
人間関係の理解や実践は、深まるのではないかと思います。
でも、こういう話はこのような一般論よりも、
たとえば、あやさんが、やっさんが、その女性に、その男性に、
本当はどんな気持ちなのかを、どしどし語ってもらうことに意味があると思います。
それは「ナチュラル・ウーマン」「トニオ・クレーゲル」を読むように
意味があるということです。
私としては、あやさんの気持ちは、
消去磨浴i少なくともこうではなさそう)の形で少しずつ現われてきたと感じています。



うまいラーメンAとうまいラーメンBは比較できるが、
うまいラーメンAとうまいケーキBは比較できない、と一般には考えられます。
「愛する異性」に向けた気持ちAと、「親友」に向けた気持ちBも、
まったく別物だから同列には語れない、比較もできない、ということになりそうです。
しかし、無理やり比較してみたらどうでしょう。
うまいラーメンAとうまいケーキBを、あえて比較することで、
「うまい」の構造が、今まで以上に見えてくるかもしれない。
そもそも、「愛する異性」Aと「愛する異性」Bも、
本当は比較できないのに、無理やり比較しているだけかもしれないのですから。


補足 No: 291 [返信][削除]
 投稿者:さかい  02/02/10 Sun 22:13:33

生物学の問題ではなく、社会学の問題だと思います。
男性女性というのもね。


あのね、やっさん No: 290 [返信][削除]
 投稿者:さかい  02/02/10 Sun 22:06:44

横レスの横レスですが、ぼくの観氏翌ナは、
男性のほうが女性よりも同性を愛することに禁忌の意識が強いです。
だから男性は性愛と友愛を峻別しようとする。
そうしないとみずからのアイデンティティが揺らいでしまうから。

あやさんの発言など読んでいて思うのですが、
ほんとうは「好き」とか「愛」とかいうのは、男性女性、同性異性、関係ないかもしれない。
いえいえ、ぼくなどは頭でそう思っても、感受性がそうはならないのですがね。


YUGE●さん、はじめまして。 No: 289 [返信][削除]
 投稿者:やっさん  02/02/10 Sun 21:40:12

私もここではまだまだ新参者ですが、迷宮旅行社にはいろいろな分野のものが溢れています。目次のページで捜し物をしてみたらいかがでしょうか?友人の方はどのようにおっしゃっていたのでしょう?
東京永久観光にても興味のある話題があればYUGE●さんが振ってみられたらいかがですか?


女性だけの特質? No: 288 [返信][削除]
 投稿者:やっさん  02/02/10 Sun 21:38:41

>あやさんへ=莱。レスさせて下さい。
あやさんが抱いている感情(愛情)はやはり私(普通の男)にとってもなかなか理解しにくいものだったので、今まで興味深く読ませていただいていました。しかも、あやさんのような女性の存在を他でもときおり耳にしたことがあったので、女性には我々普通の男には理解しがたい特質みたいなものがあるのかなと感じています。

>私が見ている彼女を正当に評価できる男性が少ないのと同じように、女性もまた、彼女を正しく見ていないことが多いので。

これは男性だけかと思っていました。あやさんのお話を総合すると、あやさんの最愛の人というのは外見・内面共に素晴らしい女性のようですね。おそらく男女どちらから見ても美しい人なのでしょう。その容姿ゆえにその人の内面のすばらしさを理解できる人、しようとする人が少ないということではないでしょうか?

>彼女自身はなにもしていないのですが、

本人があずかり知らぬ“罪作り”ということはないですか?

さて問題は、あやさんの“愛している”という感情です(いけないと言っているのではありません)。そういう感情がわれわれ普通の男にはなかなか想像しがたく、理解しにくいものなのです。例えば私にも同性の親友がいます。そいつとはもう30年来の付き合いで他に代わりのきく奴ではありません。『トニオ・クレーゲル』でいうとハンスみたいな奴で、その僕には真似のできないところがいいと思っているんですが、“愛している”わけでもないし、“兄弟みたい”ともちょっと違う、やはり“友だち”あるいは“親友”なんですね。これとは違う感情があるとすれば、あとは異性に対する“愛”しかありません。

>レズビアンの女性が彼女を愛して、彼女がもしそれに応えた、としたら、私はその場合は嫉妬しないだろうと思います。

この辺りも理解しがたい。レズビアンであろうが、あやさん以上に親密なはずですよ?いいんですか?

とりとめのない横レスになってしまいましたが、まとめましょう。
・あやさんのような感情は、女性にのみ時折見られる特質だと思われますか?
・男性にもホモとは違う同性に対する“愛している”という感情はあり得ると思われますか?
よろしくお願いします。


 No: 287 [返信][削除]
 投稿者:あや  02/02/10 Sun 01:04:34

>それは、たぶん恋愛の一回性、絶対性といったもので、
その絶対性は、実は、レズビアニズムを超えている。
ほんとうはその地点では同性愛も異性愛もない。
ただ、「わたし」のまえに「あなた」がいて、わたしは必死であなたを求めている。

ずいぶん昔のことになりますが、ある同人誌漫画家が少年同士の恋愛を繰り返し
描いていて、そういった作品は多くの作家や漫画家が手がけていたものでしたが、
私は彼女の作品だけ特に興味を持っていました。さかいさんの書き込みを読んで
彼女の作品を、思い出しました。
(「ナチュラル・ウーマン」の主人公も同人誌漫画家だった、という設定ですが、
あの世界のことを多少でも知っている者としては、主人公と同人誌時代の恋人との
背景も、いろいろと思い当たることがあっておもしろかったです)

YUGE●さん、なんかちょうど私の変な書き込みばかりがこの掲示板を占拠している
ときで、ここをそういう場所(どういう場所?)と思われていないかと、少し気になりました。えーっと、そういう場所ではなく本の話などもよくされていますので、
と、なぜか、私、弁解のように(汗)


 No: 286 [返信][削除]
 投稿者:あや  02/02/10 Sun 00:40:25

>彼女が他の女性とあやさん以上に親密になるのは、OKではないのですか?
彼女にそういう人が現れたら嫉妬するだろうと思います。しかし、その一方で
そんな人が現れるわけがない、と傲慢にも思っていますね。私が見ている彼女を
正当に評価できる男性が少ないのと同じように、女性もまた、彼女を正しく見て
いないことが多いので。
でも、そんな女性たちに関して言えば、彼女達が私の最愛の人を正しく見ないわけ
もわかるのです。私の最愛の女性は、多くの女性にとって、自分の女性としての
存在を脅かす「ライバル」にしか見えないでしょう。多くの男の人たちにちやほや
されて、自分の恋人が彼女に夢中になった、とか、そういうことがよく彼女の周りで
ありましたからね。彼女は、だから、そういうことで女性から嫌われることがよく
あります。彼女自身はなにもしていないのですが、周囲の女性が勝手に彼女に
嫉妬し、彼女を憎んでいる。彼女のことをきちんと知らないままに。
レズビアンの女性が彼女を愛して、彼女がもしそれに応えた、としたら、私はその
場合は嫉妬しないだろうと思います。私は最愛の女性と肉体的にどうかなりたい
のでは全然ないので。その場合のレズビアンの女性は、私にとっては彼女が付き合う
男性と同じような存在です。

>最愛の彼女というとき、ふつうに言う親友とはまた違う特別な感情があるのだろうと思いますが、
それっていったいどんな感情なんですか。

うーん、愛している、としか言えませんね。あとはほんとに大事、すごく大事、とか。彼女といると嬉しい。彼女が笑ってくれるとすごく幸せな気持ちになる。これは、
自分が付き合っている男の人に対しても同じように思うことなので、私は実に彼女
が好きなんだと思います。

>あるいは、彼女とどうなったら幸せなのですか。
どうなる、という状況ですか。状況で言えば、今のようにときどき会って一緒にご飯
食べてお酒飲んで、旅行に行って、それで幸せです。今までの形を続けられたらいい。
あとは彼女が辛い思いをしなければいいです。彼女が、自分が幸せだという生活を
していたらいいです。


初めまして。 No: 285 [返信][削除]
 投稿者:YUGE●  02/02/09 Sat 16:17:25

このサイトって、本の紹介をしてるんですか?
「霊の作品」で検索してきたんですけど、友人が言っていたものと違うので…。気に触らなければ教えて下さい。


倒錯という言葉 No: 284 [返信][削除]
 投稿者:さかい  02/02/09 Sat 12:54:02

横レスですが・・・。
倒錯というのは、マジョリティの側から発せられる言葉かもしれません。
男女の恋愛、結婚、幸福な家庭という社会化された性愛がマジョリティだとすれば。
けれども、「倒錯」こそが性愛の本質を明らかにするということがある。
その意味で「ナチュラル・ウーマン」のレズビアニズムは仕掛けであり、
装置なのだともいえる。

しかし、このように批評家的なもののいいかたは、
「ナチュラル・ウーマン」の魅力についてなにも語っていないに等しいのでしょう。
松浦は、レズビアニズムこそ正面からとりあげていないけれど、
初期から、同じような主題をあつかっています。
けれど初期作品に比較し、「ナチュラル・ウーマン」は、
細部のリアリティにおいて格段に豊かな作品だと思います。
だからこそ、あやさんは「実感」として判ると感じられたのでしょう。と、ここまで書いてなにかいいたりないと思いました。
レズビアニズムは仕掛けかもしれない。だが、その仕掛けによってなにを描くのか。
それは、たぶん恋愛の一回性、絶対性といったもので、
その絶対性は、実は、レズビアニズムを超えている。
ほんとうはその地点では同性愛も異性愛もない。
ただ、「わたし」のまえに「あなた」がいて、わたしは必死であなたを求めている。
そのことが書いてあるから、「ナチュラル・ウーマン」は感動的なんですね。

やっと、いいたいことがいえました。
平凡なサラリーマンらしくない文を書いてしまいました。


うまくまとまらなかった・・ No: 283 [返信][削除]
 投稿者:Junky  02/02/09 Sat 06:05:26

性倒錯 (同性愛)はよけいな仕掛け、と書いたのは、
「性愛の話をあまりからめず友愛(友情)の話だけにしてもよかったのでは」というような意味です・・・。
「女同士ではなく男女の話にしてほしかった」という意味ではないです。

《体などなくなってしまえばいい。それとも、心の方がなくなってしまえばいいのだろうか。》
これは「微熱休暇」にあった一文です。
「ナチュラル・ウーマン」の読書も、それと同じく、
人と人の、心の交わり、体の交わり、その両方を、
しかも両方の微妙なからまりあいを、
相当あれこれ想像し追及する、もの凄い体験でした。
しかも、その追及は安楽には至らず、ただ苦悩が深まるばかり
という実情も思わせる凄い体験でした。
しかし、この追及は結局のところ中断して小説は終わったかな、
という感想も持ってしまったのです。

・・・かといって、
「性の話より愛の話を」という私の要望は、
なんか理屈にあわない気もしますね。う〜む。
これはしばらく宿題ということで・・・

それよりも、あやさん自身のことで。
《彼女が幸せで望んだことであれば彼女がどんな男性といてもOKなんです》とありますが、
では、彼女が他の女性とあやさん以上に親密になるのは、OKではないのですか?
最愛の彼女というとき、ふつうに言う親友とはまた違う特別な感情があるのだろうと思いますが、
それっていったいどんな感情なんですか。
あるいは、彼女とどうなったら幸せなのですか。


うーん、性倒錯 No: 282 [返信][削除]
 投稿者:あや  02/02/09 Sat 01:14:00

「ナチュラル・ウーマン」は女性同士だからこそ成立する話であると
読んだときから自然に思っていたので、「性倒錯」という意見は意外な感じが
しました。

うううーむ。だって、「ナチュラル・ウーマン」で交わされる会話、あれを私は
男の人とできるとは思えなかったから。(自分が、の話ですが)

今日は(ってもう昨日か)、私は最愛の女性に会っていたのですが、現在私は
ある男性に彼女を託していて、で、その男性も一緒に会っていまして、彼に
「この人は私の最愛の女性だから」と初めてはっきり言ったんですね。
それを言えるまではそれなりに時間が必要で、また彼に向かって私自身いろんな
話を仕掛けていた(私はそう意識していた)のですが。まあ、そのような努力も
あってか、その発言が特に問題になることもなく、ちょっとほっとしています。
彼女が男性と付き合っていても全然私は気にしない(そういうことでは本質的に
私はレズビアンになれない)、彼女が幸せで望んだことであれば彼女がどんな
男性といてもOKなんですが、そういう人間が「性倒錯」という言葉に引っかかるのは
変かもしれない。しかし、そうかあナチュラル・ウーマン」は男性から見ると
自然ではない話で「倒錯」か、としみじみ感じ入った次第です。
ちょっと前、Junkyさんから、この話が男性と女性の話だったら、みたいなことを
問われましたが、私にしては最初からこの話は女性同士であるから成り立つ話と
しか思えなく、何と答えていいかわからなく、何も反応していませんでした。
でも「倒錯」と言われて、そうか「倒錯」と見られるんだな、とあらためて自分の
感じ方の「他者」から見た判断がわかりました。


誇大妄想的願望 No: 281 [返信][削除]
 投稿者:やっさん  02/02/08 Fri 14:59:16

>10代がまさに終わろうとするころ(5年前くらい?)
ちょ、ちょっと、Junkyさん、冗談きついんじゃありません?
もう少し控えめな人かと思っていたのに、幻滅しました(笑)。


裏ヴメ浴[ジョン No: 280 [返信][削除]
 投稿者:Junky  02/02/08 Fri 05:06:42

“読み書きという行為を抜きにしたら、この人もう死んでしまうぞという感じ”
いや、これはきっと、作中人物に対する感情ですね。それを作家松浦理英子におもわず投影してしまった、ということでしょう。・・・てことは、作家の術中にはまった純情な読者ということになりますか。

でも松浦理英子が作家としてなかなかブレイクしなかった苦悩というものは、本当にマサコさんみたいだったのではないかとも思います。

それとやっぱり、「トニオ・クレーゲル」が持ちだされたことは、こういう結果(純情な感情移入)に大きく影響しましたね。私は「トニオ・クレーゲル」を10代がまさに終わろうとするころ(5年前くらい?)に読み、やっぱり忘れられない本になりました。『ナチュラル・ウーマン』の「ナチュラル・ウーマン」を読んだときも、実は「トニオ・クレーゲル」が思い出され、その点でいえば、性倒錯の仕掛けはむしろよけいな気がしたのです。


クラシック批評こてんぱん No: 279 [返信][削除]
 投稿者:Junky  02/02/08 Fri 04:52:21

わるふざけが過ぎる・・・たしかに!
それが彼の文章にとってこの本の流れにとって
きわめて「論理的」なことだったのでしょう。

ところで、斎藤美奈子『文章読本さん江』というのが本屋に出てました。
「文章についてあれこれ言う文章読本」についてあれこれ言う、と。
なるほどなんでそれ誰もやってみなかったのか、という一冊でしょうか。
同じ構造と言えそうな本として、期待大。
さかいさん、どうぞお先に。


裏バージョン No: 278 [返信][削除]
 投稿者:やっさん  02/02/07 Thu 18:00:36

話題に付いていくのが遅くて、今更と思われる方もいらっしゃるかも知れませんが、『裏バージョン』やっと読みました。
『親指P〜』より面白かったです。さかいさんが“小手先の技術”と言われたように、また、Junkyさんがベラスケスの絵を持ち出してきたように、確かに技巧に凝ってますね。これっていわゆる“メタ・フィクション”と言われる部類のものなんでしょうね?
作者・作品・読者の関係を思い切り攪乱してくれてますね。これじゃ作品の中身を気軽に云々するとケガしそうです。でもどう読んでもこちらの勝手!と居直って少しだけ感想書きます。

●第11話=翼}サコ
この話は素直に読みたいです。つまり松浦氏の自伝的要素がかなり入っているものとして。同年輩の私としては主人公の悲哀にすごく共感しました。もちろん現実の松浦氏はこの主人公よりはるかに成功している小説家だとは思いますが。

●第13話=輸NONYMOUS
この話には『トニオ・クレーゲル』のハンスやインゲのことが出てきます。これも“うん、うん、そうだよね。”っていっしょに泣きたい感じ。でもこれを聞いたら松浦氏、“してやったり”とペロリと舌を出してほくそ笑むかもね。

●第15話=酪ケ子
全編ゴシック体で、最後に大きめ活字の「帰って来い、アホ。」
前環境相の川口さんじゃありませんが、素敵な女性にこんな言葉をかけられてみたい(笑)。
こんな僕はもしかしてちょっとマゾ?

ところでJunkyさんは、
“読み書きという行為を抜きにしたら、この人もう死んでしまうぞという感じ”
と言われてましたが、“この人”って松浦氏のことですよね?僕はそう感じませんでした。逆に相当したたかな女性だぞという印象。腐れ縁の友人にはなりたくないですね。ケンカしても絶対負けそうだし…。でも松浦氏がサド、僕がマゾで愛してくれるなら恋人になりたいです(笑)。先月の朝日新聞読書欄に3回に亘って松浦氏の記事と写真ありましたよね。顔立ちも嫌いな方じゃありません。むしろタイプです。???

『ナチュラル・ウーマン』が楽しみです。まだ一月ぐらい先になりそうですが、読んだらまた来ます。よろしく。

PS:下の投稿ミス、削除して下さい。すみません。


クラシック批評こてんぱん No: 276 [返信][削除]
 投稿者:さかい  02/02/06 Wed 23:44:27

読みました。おもしろかった。
ちょっとわるふざけが過ぎるかなとも思いましたが。

もっともおもしろかったのは第三章の批評史でした。
吉田秀和。音楽批評はまったく読んでいないのですが、
昔、「セザンヌ物語」という本を読み、
ちっとも判らなかったセザンヌの絵が、
急に生き生きと感じられるようになったことがありました。
吉田は、考えた結果を書くのではなく、考えつつ書いて、
その思考の歩みによって読者をある場所に運んでいくような、
すぐれた書き手なのかもしれません。


雨宮さん No: 275 [返信][削除]
 投稿者:Junky  02/02/05 Tue 20:15:49

なんとこれはご本人ですね!
こんなところまでご訪問くださり、ありがとうございます。
すこぶる刺激にみちた活動を今後も期待しています。

ドキュメンタリー「新しい神様」については下を。

http://www.mayQ.net/hinomaru.html


はじめまして。 No: 274 [返信][削除]
 投稿者:雨宮処凛  02/02/04 Mon 22:23:25

突然お邪魔します。雨宮処凛です。遅ればせながら、「新しい神様」について書いて下さり、ありがとうございます。
一月に、私の新刊が二冊出ました。
「自殺のコスト」(太田出版)と「暴力恋愛」(講談社)です。
良かったら、是非読んでみて下さい。そして良かったら、是非書評など書いて下さい・・・・。
それでは、突然失礼しました。

http://www3.tokai.or.jp/amamiya/


 No: 273 [返信][削除]
 投稿者:Junky  02/01/29 Tue 14:18:49

あっ、「グイン・サーガ」っていうんですか、失礼。


恐縮です。 No: 272 [返信][削除]
 投稿者:さかい  02/01/28 Mon 23:34:10

「グイン・サーガ」?すんません、ははは。笑っちゃ失礼。
「グイン」はいいけど、プルースト、実はぼく読んでません。
チャンスは定年後か?ううむ。しかし。
この齢になると、もしかしておれはプルーストを読まないで死ぬのか?
などと考え、ちょっとさびしい気にもなる。
若い頃は時間は無限にあるような気がしていたのになあ。

最近、JunkyさんのHPが読書の羅針盤みたいになってます。
「クラシック批評こてんぱん」読もっと。


「微熱休暇」 No: 271 [返信][削除]
 投稿者:Junky  02/01/28 Mon 02:31:29

読みました。
《体などなくなってしまえばいい。それとも、心の方がなくなってしまえばいいのだろうか。》
いやほんとにどっちなんだろう、という根源的な苦悩が、
蛸シーンで救われるという感じでした。映画みたいですね。
小説も新鮮さしみにワサビがじ〜んという一品でした。

え、河出文庫版?へえ、四方田犬彦が解説を。それも読んでみたいですね。

この掲示板で『失われた時を求めて』や『クイン・サーガ』の話題が出ないことをひそかに祈る。


ブータンの国歌 No: 270 [返信][削除]
 投稿者:Junky  02/01/28 Mon 02:19:24

あれ?歌詞あるんですか。『国歌』の記述と合致しないですね。
慣用の第2国歌のようなものがあるとか、
正規でない歌詞が実際はよく歌われるとか、そういうことのせいで、
国歌や歌詞が不確定という可能性もあるかと思いますが、すべて推測です。
アフガニスタンなんかも、ネット上では違う国歌(歌詞)が見つかったりします。
曖昧なのは君が代ばかりではないということかもしれませんね。
(いや君が代は今はもう磨乱ァ化されたから、正真正銘の国歌か・・・)


表紙 No: 269 [返信][削除]
 投稿者:Junky  02/01/28 Mon 02:12:08

たしかに「暇」もありますが「フォトショップとAsahi.comのせい」ですね。
リクエストとは、これまた、裏ヴメ浴[ジョンの別ヴメ浴[ジョン?
あまりプレッシャーかけないでくだされ。


表紙 No: 268 [返信][削除]
 投稿者:やっさん  02/01/28 Mon 01:45:45

創造への飽くなき情熱。一般的に創造とは苦しいものだと思いますが、Junkyさんの場合それはヒマから来ているのですか(失礼)?=翌サれとも読者への大いなるサービス精神とわずかばかりの自己満足(失礼)?=翌アれは表紙に限らず、迷宮旅行社全体について知りたいことでもあります。私にはとうてい真似の出来ないことなので、かねがね訊いてみたいと思っていました。いつぞや日誌で、それは自分でも分からないとおっしゃってましたね。強いて言えばインターネットがあるからだろうかとか。それは今も変わりませんか?いつ死んでもいい、そんな悲壮な覚悟が裏にあるわけではないのですか?もちろん、人生とか世界に対して一歩も二歩も距離を置いたゆとりを感じないわけではないのですが。
ところで再び表紙ですが、“ペイオフ”というテーマをリクエストしてもいいですか?それこそヒマが有ればの話ですが。今時の庶民というのは結構小金を貯めています。それが苦労して貯めたものだけに実はペイオフって恐いんじゃないですか?Junkyさんにはあまり関係ないかも知れませんが(失礼)、ペイオフって実際破綻しても一千万までは保証されると言われていますが、実は当座に支給される金額というのはたったの60万円という話もあります。残りはそれから5年をかけて払い戻されるとか。ペイオフも2000年問題の時と同じで、杞憂に終わるのでしょうか?
表紙についてですが、臨時増刊号は別としてワールドカップが終わるまでは“国家国家”がいいんじゃないでしょうか(個人的意見)。しかしその前にソルトレークがあったか?(またまたヒマなJunkyさんにプレッシャー!)
加藤典洋さんではありませんが、今回の私の発言は、はからずも私が大変失礼な人間であることを露呈してしまったようです。(反省)


表紙の、 No: 267 [返信][削除]
 投稿者:さかい  02/01/27 Sun 10:42:06

泣く女、おもしろいです。
前のがどんどん消えていってしまうのがさびしい気もしますが。


ブータン国歌には歌詞がない No: 266 [返信][削除]
 投稿者:ムキンポ  02/01/26 Sat 15:22:48

ほんとだすか、とブータン通のふりちん先生に訊いてみたら、

>あるよ。白檀の木がどうとかいうのが。

と回答ありましたよ。

http://www.mkimpo.com/diary/2002/andromeda.html


松浦的なもの No: 265 [返信][削除]
 投稿者:さかい  02/01/26 Sat 10:39:10

恋愛小説を成り立たせているのは、
「やりたいのにできない」という感情だと思います。
(下品ないいかたを許してください)

「ナチュラル・ウーマン」について、JUNKYさんが、
いろいろと疑問形で書いていらっしゃいましたが、
昨今、男と女では簡単に「できてしまう」ので、
なかなか恋愛小説になりません。
昔は身分の差、不倫などが「やりたいのにできない」理由でしたけれど。
そういう意味で、現在の恋愛小説が、同性愛やSMをとりあげるのは、
ゆえなきことではないと思います。
(そういえば「センセイの鞄」が「やりたいのにできない」理由は、
相手が老人だからでした)

ぼくは「やりたいのにできない」状態が、人間というものの孤独、
そのほかの存在条件を照らし出すと考えています。
が、これについては長くなりそうなので、やめておきます。

実は「ナチュラル・ウーマン」のなかで、ぼくが、
いちばんすばらしいと思っているのはまんなかの「微熱休暇」です。
旅館で由梨子と私が、調理師に蛸を食べさせてもらう場面など。

蛇足ですが、河出文庫版の四方田犬彦の解説は出色ですね。
簡潔で本質を押さえているだけでなく、冒頭の「真紅」と、
結末の「緑」という色彩の対照という視点など、さすがです。


 No: 264 [返信][削除]
 投稿者:Junky  02/01/26 Sat 04:28:59

《「手賀沼」本年度発表の環境省調査でまたもや日本一汚い湖沼部門堂々の一位》
なるほど、それはすごい。我々の文章も濁り激しくしだいに腐臭がゥゥ。
テーマがあって書くというのは、好き勝手に日記を書くのとはちょっと違って、よい体験でした。

丸山への思い。
松本まで行くというのはスゴイですよ。ふつう甲府まででしょう。

マックライフ休刊。ユーザーにとっては感慨深いみたいですね。
私もマックですが、
パソコン雑誌は立ち読みくらいしかしてなかった。(他の雑誌もだけど)
「マックパワー」では堅苦しく、「マックフメ翼刀vでは物足りないという感じ?


MAC LIFE廃刊 No: 263 [返信][削除]
 投稿者:やっさん  02/01/25 Fri 20:52:07

いきなりで、しかもここにはふさわしくないかも知れませんが、老舗MAC LIFEが突然休刊(おそらく事実上の廃刊)を決めたそうです。ショック!
Mac fan internetもいつの間にかなくなっていましたが、New i Macが出た今、どこがこれからMac userを啓蒙してくれるのでしょう?


第五回=翼Aンドロメダ忌 No: 262 [返信][削除]
 投稿者:ムキンポ  02/01/25 Fri 12:29:00

特に私は絡んでないんですけど、アンドロメダ忌世話人代表の松田政男さんに
宣伝してくれるよう頼まれました。
松田さんとはいつもイスラエル大使館へのピースウォークでいっしょさせて
もらってます。
去年は島田雅彦が講演したみたいですね。

http://www.mkimpo.com/diary/2002/andromeda.html


昨年 No: 261 [返信][削除]
 投稿者:たぐち  02/01/24 Thu 23:24:12

丸山に会いに行こうと思いましたが、手前の松本まで行って
めんどくさくなりました。
丸山は「家に来るな」とエッセイで幾度も書いていますが、
あんなに立派な(当然皮肉)庭を自慢している以上、行きたくなるのも
無理はありません。

Junkyさんがおっしゃっている中島のは「無用塾」というのでは?

アンドロメダ忌どうしようかな。
2000円も出して、朗読は聴きたくないし。


至福 No: 260 [返信][削除]
 投稿者:まさはる  02/01/24 Thu 18:31:20

永井均は集中講義を聞いた
野矢茂樹は何度もゼミに出た
僕は至福。


ありがとうございます No: 259 [返信][削除]
 投稿者:月刊てがぬま編集部  02/01/24 Thu 09:03:01

毎度お世話になっております。
「日誌および更新」よりリンクしていただきまして
ありがとうございます。
今回のてがぬま外部的にも評判よろしく滑り出し上々。
特にJunky氏の記事は大変興味深いものに仕上がっております。
東京永久観光をごらんの皆様、お時間のあるときにでも
覗いてくだされば幸いです。
「手賀沼」
本年度発表の環境省調査でまたもや日本一汚い湖沼部門
堂々の一位を獲得したようです。
マイナーサイトのネーミングに限って言えば良しにつけ
悪しきにつけcatchyであるのは歓迎すべきだと感じております。
水質汚染レポートと間違えてアクセスする人を期待している
訳ではありませんが…。今後ともよろしく。

http://chiba.cool.ne.jp/teganuma/


哲学者に会いたい! No: 258 [返信][削除]
 投稿者:Junky  02/01/24 Thu 06:30:32

中島義道。
そう、たしかカント研究の人ということになっていますね。
大学(電通大)で市民ゼミナールのようなことをやっていて、
それはカントの著書(どの本だったかは忘れました)を
ひたすら読むというものらしい。今もやってるのかどうか知りませんが。
この人とは一緒にコーヒーでも飲んでみたいです。
永井均は集中講義を聴きたい。野矢茂樹はゼミで対話したい。池田晶子とは議論がしたい。丸山健二とは一緒に山歩きでも。


第五回=翼Aンドロメダ忌へのご案内 No: 257 [返信][削除]
 投稿者:Junky  02/01/24 Thu 06:14:52

ムキンポさんが、このイベントになにか絡んでいるのかな?


恋愛のイロハ、恋愛小説のイロハ No: 256 [返信][削除]
 投稿者:Junky  02/01/24 Thu 06:11:51

「ナチュラル・ウーマン」読みました。感想です。

それが同性であれ異性であれ、しかも友愛であれ性愛であれ、
根っこにある至福や厄介さは同じものなのだろうか?
もしそうだとしても、それでも松浦理英子は、
異性ではなくあえて同性の話を書かねばならなかったのはなぜか?
友愛ではなくあえて性愛の(しかも倒錯的な)話を書かねばならなかったのはなぜか?
これを男女の話に置き換えて読んだのでは、読んだことにならないのか?
これが男女の話として書かれていたら、実は陳腐な恋愛・陳腐な恋愛小説ではないのか?
しかし、仮に陳腐であるとしても、
社会問題や時代だの思想だのにけっして回収されない、このような恋愛・恋愛小説は、
実はあまりなかったのではないか?
至福や厄介さというのが、支配することと支配されることの至福や厄介さであるとしたら、
「裏ヴメ浴[ジョン」も参照されてくるのだろうか?

あやさんの問いに答えるどころか、感想がすべて問いになってしまいました。
またいずれ。


第五回=翼Aンドロメダ忌へのご案内 No: 255 [返信][削除]
 投稿者:ムキンポ  02/01/24 Thu 01:42:24

こちらには埴谷雄高のフメ翼唐フ方いらっしゃると思うので宣伝させてください。
忘れなければ直前にまたお邪魔させてもらうと思います。

---------------------------------------------------
クルーアン・エキスペリメント
獨誦実験=浴w死霊』 ―― 「私達の物語」として
●2002年2月18日(月)=洛゚後5時半〜7時半(5時開場)
●アテネ・フランセ文化センター=4階講堂
●『死霊』朗読=浴@蟹江敬三
(テキスト作成=莱z智隆幸・人見敏雄)
●音楽構成=浴@J・A・シーザー
●参加費=浴@2,000円
---------------------------------------------------

http://www.mkimpo.com/diary/2002/andromeda.html


期待されるほどのものは何もなく No: 254 [返信][削除]
 投稿者:あや  02/01/23 Wed 00:49:16

>あやさんの最愛の女性というのは一体どのような人ですか。

これが一番難しい質問かも。
無理やり言葉を並べてみるならば、美しく、愛らしく、
凛々しく、情が深く、冷淡で、残酷で、清らかで、淫蕩で、
か弱く、雄々しい、……これじゃ説明になりませんね。
彼女を言葉で表すのは難しい。いろんな顔を持っている
人なので。

>女性が愛する女性・松浦理英子が愛する女性ってのは、
一般男子が愛する女性とは、だいぶ違うわけでしょうか。

私が愛している女性は、数多くの男の人に愛されてきました。
というより、私は彼女と知り合った男性で、彼女に関心を持たなかった
人を見たことがありません。
しかし、彼らが愛している彼女の姿と、私が愛している彼女の姿は
何か違うと思って、彼女に夢中になっている彼らを見てきました。
そして、私が見ている彼女の姿を彼らも見ることができたら、彼らは
彼女を本当に手に入れることができるだろうな、と、思いました。
でも、結局、今の段階では誰一人として彼女を自分のもとに留めておく
ことができず、苦しんでいるようです。
彼女は何も隠していなかったのに、なぜ、私が見ていた彼女を彼らは
見いだせなかったのか、それを不思議に思います。
彼ら=一般男子に、私の方がお聞きしたいほどです。彼女と一緒にいて
この人のどこを見ていましたか、と。
「ナチュラル・ウーマン」で描かれた女性が松浦さんが好むタイプなのか
どうかは知らないので、松浦さんが愛する女性が一般男子の好みとどう
違っているかはわかりません。ただ、私としてはあの作品に登場する女性
達は愛しい女性達だと思います。一般男子=Junkyさんは、あの女性達が
好きですか?

>それと、どっちになりたいですか。
どっちにもなりたいといえばなりたいし、なりたくないといえばなりたくない。

「私、あなたを抱きしめた時、生まれて初めて自分が女だと感じたの」
=浴@=浴@=浴@=浴@=浴@=浴@=浴@=浴@=浴@=浴@=浴i「ナチュラル・ウーマン」より)
男でも女でも、こう思える相手に出会って、自分が相手を愛しているほうが
幸せな気がする。



ちなみに No: 253 [返信][削除]
 投稿者:たぐち  02/01/22 Tue 22:13:59

私は中島の「カント論」は読んでません。
エッセイを数冊のみ。
それでも内容は徐々に薄まっているような・・・
それとも慣れてきた所為かな。


 No: 252 [返信][削除]
 投稿者:たぐち  02/01/22 Tue 22:09:51

丸山の最近の小説は
「この世に生きる価値はあるのか」というのを灯台に立てこもって、
ひたすらに考え込んだり(大した観念ではない)、「流れゆく者」として
生まれついたあげく自爆テロ(ジハード!!!)をしたりするという
読む必要性が皆無なものばかりですが、エッセイはかなり笑えます。

「アナーキズムは思想と言うよりも、むしろ哲学である」という大方の見解に
異を唱えるつもりは毛頭ない。しかし、小説家の端くれとしての私は、
その真っ当な解釈に対し、敢えてもう一言付け加えてみたい。「アナーキズムは・・・」
と始まる『生者へ』(新潮社)は笑えますね。

中島と対立(と言っても私の中島像は『孤独について』に記述されている
ことをほとんど重ね合わせていますが)というのはまず中島は自らを
「故郷喪失者」と規定していること。
丸山はそもそもの、実質的な、作家出発点は都会に失望し故郷に帰る男を
主人公とした作品(『正午(まひる)なり』絶版)であり、
彼の作品群は塒(ねぐら。丸山の作品にはこの語が頻出)を持ち得ている人間が
主人公です。
まずここが対立その一。
それから中島は自らが虚弱であると言うことを「ウリ」にしているようにも
氏翌ケられるのですが、丸山は「マッチョ」であることを常にアピールしています。
それにも関わらず、同族である三島をバカにするという笑えるお約束も
しっかりこなしてくれています。

もちろん私の見方は丸山に重点を置いていますので、中島にとって
「故郷喪失者」であることや貧弱なことは彼の思想の根幹をなすものかどうかは
わかりません。
しかし、丸山はそれに対立している要素が彼の根っこであり、頼りであり、
救いでもあるのです。
それが丸山のスケールが大きいんだか、小さいんだかをわからなくさせているのですが。

プロレス的、かどうかはわかりませんが、少なくとも丸山は大衆が自らに
望んでいることを言ってくれているなぁ、とは思います。
猪木を見たら張り手をされたくなるような期待を私は
丸山に持っているので、プロレス的ではあります。
思想的や文学的には彼に何も求めてはいません。
だって、小説がつまんないんだもん
(それは私が猪木のやっていることにつまらなさを感じているのとも同じ)。

とりあえず、丸山に触れてみたくなったら『まだ見ぬ書き手へ』(朝日文庫)を
お薦めします。

ざっと書いてみました。乱文御容赦。


田端は20年以上降りてない No: 251 [返信][削除]
 投稿者:Jnuky  02/01/22 Tue 01:56:06

べつにうまい店なさそうなのに、
なんでだろうと思ってしまいましたよ。

『哲学の教科書』
哲学の研究はしても哲学はしない学者が多すぎるといった内容でしたかね。
(ミュージシャンでなくて音楽評論家ばかりということ)

たしかに、性的な倒錯のかけらも感じられない市民運動であれば、
なんだか、つまらなそうではありますね。
かつての連合赤軍とか、あるいはオウム真理教とかは、
勝手な想像ですが、そういうのが濃厚なイメージ。

あやさん、期待してます。連載でもいいですよ。

たぐちくんは、丸山健二を
プロレス的エンターテインメントとして論じているのかと思ってました。


いいもの食いに田端に行くのもいい No: 250 [返信][削除]
 投稿者:まさはる  02/01/21 Mon 23:44:34

たてはたさんは
ベネチア・ビエンナーレの日本館ディレクター(っていうんでしたっけ?)とかも
やってますよね。

あと>たぐちくん
丸山健二って読んだこと無いんですけど、どういう小説なんでしょうか?
中島とあらゆる意味で対立するというとき、例えばどういう点でどういう意味で違うんでしょうか?

中島義道は『哲学の教科書』(講談社)『哲学の道場』(ちくま新書)『孤独について』(失念)『生きにくい』(失念)『仕事が嫌いなための人の本』(日本経済新聞社)とか、どれも似たり寄ったりです。


どうなんだろう No: 249 [返信][削除]
 投稿者:あや  02/01/20 Sun 12:06:03

中島さんの本は、彼の「社会的」人生の範疇に含まれないものじゃないかと
思います。
ですので、ハイペース出版も矛盾してない、と思っていました。
いやむしろ「社会的」人生を半分降りているから、のびのび書けているのじゃ
ないでしょうか。(「彼自身のための人生」を彼は降りているのではない、と
私は思っています)
彼が「人生を半分降りる」前だったら、ああいう本は、「社会的」配慮の元で
いかな中島さんでも書きづらかっただろうな、と。

Junkyさんにあらためて問われて、私は彼女と私のこれまでの関係や
私がなぜ彼女を特別の人として扱っているか、を振り返っています。
もう少し、お返事まで時間を下さい。


ゲッベルス最高! No: 248 [返信][削除]
 投稿者:さかい  02/01/20 Sun 06:30:31

笑わせていただきました。
今朝は、なぜか割腹する三島の映像が寝覚めに浮かんでいたのです。
それで起きたらまだ五時半だ。
ぼくの勝手な想像だが、石原、福田はゼロ戦やメッサー・シュミットの、
プラモデルつくって喜んでいそうな気がする。
いわゆる「市民」運動には、性的な陶酔による団結がないので、
いざとなると国家主義者に蹴散らされてしまいそう。
それより、断然松浦理英子のレズビアンやSMです。
無理やりな対立軸ですけれど。

中島はどの本がおもしろいのでしょうか?


中島 No: 247 [返信][削除]
 投稿者:たぐち  02/01/20 Sun 01:46:40

あんまり書きすぎると密度が薄まるような・・・
本人も「文士」を目指していたというなら、
是非小説を執筆していただきたいです。
あらゆる意味で中島と対立的なのが、丸山健二。
この二人を何時の日か戦わせることが私の夢です。


ゲッベルスといえば、 No: 246 [返信][削除]
 投稿者:Junky  02/01/20 Sun 01:13:19

こんなのありました=flash movie=

http://www1.neweb.ne.jp/wb/soutou/monku.swf


私負けましたわ No: 245 [返信][削除]
 投稿者:Junky  02/01/19 Sat 23:10:08

ははは。人生を半分降りたのにハイペース出版とは、たしかに面白い。

文春の船戸一派?=蘭ュにややこしい事情ですね。
そういうのに相変わらず詳しい、たぐちくんもまた・・・

建畠晢
検索してみたら、なんと横浜トリエンナーレのディレクターの一人でした。
詩作と美術評論の二足のわらじってのは、珍しいんじゃないですか。
個人サイト(下)があって、エッセイで回文のことを書いています。
「建畠、果てた」とか「トンカツ、カント」とか「神田の檀家」とか、
笑える、笑える。これぞエクリチュールそのものの味。

とうぜん、思い浮かんだのが、これ。
「中島、マジかな?」

中島義道は、大マジですね。
人生半分降りるというのも、しゃれでは全然ないと思います。

http://plaza17.mbn.or.jp/~tatehata/


作家の値打ち No: 244 [返信][削除]
 投稿者:さかい  02/01/19 Sat 22:26:17

福田和也は、石原に政権奪取をさせたあと、
みずから宣伝相ゲッベルスの役でもやりたいのではないですか。

でも船戸評価は正しいと思いました。つまんないもん。


半分 No: 243 [返信][削除]
 投稿者:まさはる  02/01/19 Sat 20:33:36

だけ降りて、あと半分はのこっているので。
残った半分は、後ろ指を差されようと思っていることを啓蒙的に
書き散らしていくことに費やしているというところでしょうか。


 No: 242 [返信][削除]
 投稿者:たぐち  02/01/19 Sat 19:51:07

福田和也が酷評した船戸与一の直木賞受賞は
文春の船戸一派(北方謙三大沢在昌等)に対する配慮、
文藝春秋社としてはこれからも福田和也を使うが、
それは決して『作家の値打ち』(飛鳥新社)を擁護しているわけではありませんよ、
という感じの受賞です、と断定。

Junkyさんの
>撹乱を狙い深読みを期したのが真相らしい。
末尾に「uso」とあるとはいえ、ああ成る程な、とも思ったのですが、
我が愛する丸山健二に対する評価が
『千日の瑠璃』21点
『争いの樹の下で』23点
『虹よ、冒涜の虹よ』22点
というもので、福田の丸山に対する点数に関しては
私は非常に納得できるのです。
もし逆でしたら、異常に高い点数で、それこそ福田は
糞批評家でしかないことを明白にさせるだけです。
しかし、石原への過度の評価、あるいはとある作品でも
「三島が評価した」や「江藤が評価した」から高得点というのも
多数あり、どう考えてもこの本自体がまともな仕事では無いというのも
これまた明白で、ということはこの本でかなりの収入や一般に対し知名度を得た
福田和也というのはやっぱり糞批評家であるというのも三度明白です。
『作家の値打ち』の読みどころは車谷長吉に対する誉め殺し。くらいでしょうか?

中島に関して、まさはるさんにお伺いしたいのですが
彼は人生を「降りた」んではないのですか?
それなのに、異常なハイペース出版。
この辺りがよくわかりません。


補足 No: 241 [返信][削除]
 投稿者:まさはる  02/01/19 Sat 19:30:52

「世界的な水準」とかいう評価基準をパロディーとして持ち出すような感性は信頼してもよいと思います.


他の何でもなく No: 240 [返信][削除]
 投稿者:まさはる  02/01/19 Sat 19:27:58

『問いなき回答』(源一郎も週刊朝日でとりあげました)とか難解だけどなんだか面白い本を書く美術批評家で、
『そのハミングをしも』とか難解だけどなんだか面白い詩集も出す詩人(こっちの詩についても源一郎が湾岸戦争のことと絡めてどこかで書いてました)の建畠晢は

詩でも小説でも批評でもなんでもなく、ただエクリチュールそのものを書きたい

といったことがあります。


金曜夜更かし、土曜は朝寝の掲示板 No: 239 [返信][削除]
 投稿者:Junky(世界水準)  02/01/19 Sat 11:55:58

>あやさん
あやさんの最愛の女性というのは一体どのような人ですか。
女性が愛する女性・松浦理英子が愛する女性ってのは、
一般男子が愛する女性とは、だいぶ違うわけでしょうか。
それと、どっちになりたいですか。

>やっさん(「ち」は「さ」の裏バージョン)
『作家の値打ち』
あれは福田和也の本音が91点だった場合は、わざと19点に変え、
56点の場合は65点にして、
撹乱を狙い深読みを期したのが真相らしい。
すると88点の場合は?
ぞろ目に暗示された福田の意図をさらに解読しなければならない。uso

『ゴーストバスターズ』21点、弱りましたね。
中間テストで返ってきた物理のテストかと思いましたね。

>まさはるさん
むむ鎌田哲哉か?と思い気や、まさはるさんでしたか。
(「早稲田文学」で鎌田哲哉が福田和也を完全否定しているようなので)
《人生だとか文学だとかナイーブな概念の中に無意識に安住》
文学の本など敬遠して読まないがゆえに闇雲に崇拝だけしている、
ちまたの芥川症的文学観とは、たぶんこういうかんじですね。


推測 No: 237 [返信][削除]
 投稿者:まさはる  02/01/19 Sat 04:16:59

石原慎太郎を高く評価する知性というか感性というか政治性から推測するに
福田和也が文学の何たるかを分かっているとは思えません。
(彼の書いたものをきちんと読んだことがないので推測しかできません)
石原慎太郎の書いたものを(芥川賞の蒙昧な選評以外に)
全く読んだことはありませんが、
ニュースで見聞きする言動から推測するに、
彼もまた文学の何たるかを分かっているとは思えません。

賞をとっている人を評価できないからといって、それが独断と偏見の証拠にはならないと思います。(およそ評価とは独断と偏見以外に由来しないのですが)
賞自体が独断と偏見だからです。それでも保坂和志なんかも受賞者だし
賞の基準も完全にダメではないと思いますが。

福田は中島義道という哲学者をあるところでバカにしていたような記憶がありますが、あの真剣さをすくいとれないような感性に僕は同意しかねます。ちなみに、中島義道はあるところで高橋源一郎を賞賛しています。

福田=卵ホ=絡kエ・中島
なら僕は、断然、後者を信頼します。

なんだか,いきおいで書いてしまいますが、まえの柄谷評価とも関連付けて
僕の評価としては(評価なんておこがましく、かつ無意味かもしれませんが)
高橋・中島>柄谷>>>>>>>>>福田・石原
くらいでしょうか。

福田や石原がタチガ悪いのは、一つには自分のバカさ加減を自覚している様子が
ないからです。おそらくバカであるにもかかわらずです。というか、バカだからこそ、そのような自覚ができず、自覚ができないからいよいよバカだという悪循環なのですが。


「世界的な水準」とかいう評価基準を(いかに確信犯的であろうと、無意識的にであろうと)持ち出すような感性を断じて信用してはならないと思います。

とはいっても、こういう言葉づかいをたびたびする柄谷は、
「文学」を見る目は確かだったような気がします。
田中小実昌を評価していたし。
僕は彼を思想家としては評価しませんが、
文芸批評家としては優れていると思います。
多分,彼が優れているのは文学を系譜学的に形式的に観ることのできる能力のゆえです。人生だとか文学だとかナイーブな概念の中に無意識に安住しているような
石原とか福田とかは明らかに一線を画します。


『ナチュラル・ウーマン』88点 No: 236 [返信][削除]
 投稿者:やっちん  02/01/19 Sat 02:55:01

福田和也『作家の値打ち』という本があります。ぼくは福田氏がどんな思想的スタンスに立つ人なのか知りませんが(要するに彼の他の著作は全然読んでいませんが)、時々本選びの参考にすることがあります。その本によりますと『ナチュラル・ウーマン』は88点(因みに80点以上は近代日本文学の歴史に銘記されるべき作品だそうです。)、『親指Pの修業時代』は65点(60点以上は再読に値する作品。)となっています。『裏バージョン』は取り上げられていません。これらはあくまで参考に過ぎませんが、近いうちに未読の2作は読んでみたいと思います。

ところでこの本では面白いことに船戸与一が徹底的に貶められています。いずれの作品も(20点以下、測定不能)とバッサリです。ぼくは彼の作品を読んだことはありませんが、最近彼が平成12年上半期の直木賞作家であることを知りました。これって福田氏の独断と偏見を物語るものなんでしょうかね?junkyさんが大フメ翼唐フ高橋源一郎の『ゴーストバスターズ』も21点とこっぴどくやられていますよ。29点以下は(人前で読むと恥ずかしい作品。もしも読んでいたら秘密にした方がいい。)だそうです。ただし『さようなら、ギャングたち』は91点(90点以上は世界文学の水準で読み得る作品。)となっていますが。

話は変わりますが、迷宮旅行社の表紙、最近のユーロにしろ、国家国家にしろ、世界的WEBアートの水準で鑑賞し得る作品となっていますね。(笑)
それから、ネット上でいつもお願いするんですが、やっちんにさん付けは止めて下さいね。


「ナチュラル・ウーマン」は言わせて頂きたい No: 235 [返信][削除]
 投稿者:あや  02/01/19 Sat 01:17:55

レズではないけれどそれはそれとして最愛の女性を持つ私には
あの作品は素直に愛しい。
松浦さんの作品ではいちばん好き。
また、あのように女性が女性を愛する感情をずいぶん鋭く表現した作品も
ほかには思いあたりません。
「鋭い」と思うのも、自分の得心する感情だから、そう思ってしまうもの
なのかもしれませんが。



裏ヴメ浴[ジョン No: 234 [返信][削除]
 投稿者:Junky  02/01/17 Thu 22:19:10

ははあ、う〜む、「おもしろいが不満」と。
私としては、
無頼のツッパリがいっぱいいっぱいで、今にもほころびそうというのか、
読み書きという行為を抜きにしたら、この人もう死んでしまうぞという感じで、
それがいわば「どうしようもない」切なさを思わせたというわけです。
こういう人と腐れ縁の友人になりたいですね。
まあ縁なんてのは、腐れ縁以外には存在しないと思うんですが。
全幅の腐れ縁

「ナチュラル・ウーマン」はどなたか、どうぞ。


松浦なら No: 233 [返信][削除]
 投稿者:さかい  02/01/16 Wed 23:23:54

「ナチュラル・ウーマン」を読みましょう!
ぼくはこれを何度も読み、そのたび泣きました。
「裏ヴメ浴[ジョン」もおもしろい。おもしろいが、実はぼく、不満なのです。
小手先の技術に走りやがって、という感じ。
松浦理英子、うまいし、エレガントなのは判ってるんだ。
もっと、どうしようもないものをぼくは求めているのに。

「ロボットの心」読みました。おもしろかった。
ぼくはJankyさんの読書には全幅の信頼を置いていますから。


十七歳の松浦と川上 No: 232 [返信][削除]
 投稿者:Junky  02/01/16 Wed 07:31:11

ここまで誉められると、
やっちん(さん)とJunkyは、実は同一人物の自作自演なのではないかという
疑いが頭をもたげてくる。

ところで松浦理英子と川上弘美は同年(1958年)生まれ。
もしも高校とかで同級生だったら、それぞれ教室でどんな感じの人だったでしょうね。
(こんなことを思うのは『裏ヴメ浴[ジョン』を読んだせい?=
=翌あそういえば『センセイの鞄』も関係ある)

リンクはGoogleの検索ページに行きませんか?なんかやり方まちがってたかな。


松浦理英子 No: 231 [返信][削除]
 投稿者:やっちん  02/01/15 Tue 23:56:51

日誌、“裏バージョン”のリンクがおかしいのでは?(たいしたことではありませんが……)
しかし、さすがですね。小説の中身には触れないままと言われながら、小説についてはちゃんと立派な感想を述べていらっしゃる。しかも博学。僕にはまだまだ書けないなぁ。実は僕もつい最近『親指Pの修業時代』を読んだのですが、さて何と言うべきか?
足の親指がペニスに変身したことをきっかけに女性主人公の不思議な性遍歴が始まる。それは性と愛の固定観念を次々と打ち破る修業時代の始まりであった。 性器の結合のイメージだけにとらわれない、性愛とプラトニックラブの両立こそ愛の理想と見つけたりと受け取りましたがいかが(junkyさんのように文章の骨子にレトリックがないな)。
若い頃は愛のあるセックス至上主義なんてきれいごとで、ただもうやれればいいんだと思っていましたが、年のせいかこの頃は愛のないセックスなんてオナニーと変らんと思うようになった。振り返ってみれば相手への愛情の高みにあってしたセックスってどれくらいあったろう?あぁ、愛あるセックスがしたい今日この頃です。

ところで『センセイの鞄』、皆さんいろいろ感想ありがとう。主人公あるいは著者には心の痛みとか切なさがあるのでしょうが、どうもあの一歩引いたような文体からその感情の振幅を感じ取れない。それは僕の感性の方に責任があるのでしょう。でもそんなオトナの女の人と一度お付き合いをしてみたいとは思う。(笑)

地域通貨とか、Qとか、僕にはあまりよくわかりませんが、先日読んだ『狂騒曲1985-1990』(久間十義)をふと思い出した。バブル時代の話である。富とか価値というものが実体を持たないまま、いつの間にか膨れ上がって行く話なんですね。

最近読書記録なるものを作ってみました。手抜きなんであまり参考にはなりませんが、同じ本を読んだ方がいらっしゃいましたら一緒に盛り上がりましょう。↓

http://suk2.com/user/mozart/


カルトによる潤雷ウ改革 No: 230 [返信][削除]
 投稿者:Junky  02/01/14 Mon 07:40:27

地域通貨でコミュニティの結束と経済活性化を図る。
それが流行りだというのは、いかにもという感じですね。
話題性とイベント性もあるし。一種の祭りかな。
でも、われわれが、
お金をもうける・お金をためるといった気持ちを根本的に捨てないかぎり、
それはやっぱりボランティアやお遊びでしかないんでしょうねえ。
株を買おう、ユーロで貯金しようというのとは、目的が全然違う。

NAMは、
そうした捨てきれない蓄財の気持ちを本気で無効にする理念を考え、
それをQで実践しようとしているというところでしょう。
われわれとしては、たしかにそんな新潤雷ウは受け入れ難い。
でも一方で、円やドルという通貨なら「実在する」のかというと、
伝統ある一神教と変わらないような気もする。
ましてや株や土地あるいはゴルフ会員権の売買なんて、
いかにも魔術、錬金術の印象。

円やドルを相対化するため、
いきなりQに行く前に、
たとえばある地域の人々がこぞって、
しばらくアルゼンチンのペソで貯金してみる、
なんてのはどうでしょうか。


地域通貨について、 No: 229 [返信][削除]
 投稿者:洋生  02/01/12 Sat 15:50:10

仕事がら、同僚が「まちづくりにおける地域通貨」の検討なんか、
やっていたりすることもあって、ふと思うのです。
地域通貨って、その地域だけに通じる通貨だから、
ある種の仲間意識が強くなって、コミュニティが再形成されることを、
意図しているのかなあと。もちろん、円では交換されにくい、モノやサービスを
地域通貨によって拾い上げ、地域経済を活性化しようという意図もあるのですが。

地域通貨の導入に関する意識としては、既成資本への抵抗手段(?)としてのQと、現実に地域で導入されたり検討されている地域通貨では、違うかなと
思ったりします。


業界に的には「地域通貨」はここ数年、はやりみたいなところがあって、
まちづくりでは、かならず地域通貨の検討ってのはでてくるようです。
個人的には、地域通貨っていまだに「あぶない潤雷ウ」っぽいイメージがあって、
そうじゃないんだと、自分に言い聞かせようとしているのですが、なかなか
払吹翌ナきません。


そうですね、新聞というのは No: 228 [返信][削除]
 投稿者:さかい  02/01/11 Fri 00:30:32

利益追求を目的とする大企業なのです。
が、しかし、自分のことは口をぬぐっています。
それをいっちゃあおしめえよ、というのもありますけれど。
ぼくは朝日をとっていますが、ある拡張員は、
継続だとポイントにならないので、いったん読売にしてくれといってきた。
こういうばかげた、無責任きわまりない拡販競争をしていてなにが「公器」か?

まあ、社説くらいは署名原稿にすべきだと思います。


だったら革命的 No: 227 [返信][削除]
 投稿者:Junky  02/01/10 Thu 01:15:37

巨大資本の猛威から生活を守るため、市民の皆さまは
朝日新聞の購読料を、半分は円、半分はQで支払ってください。
弊社社員の給与も半分は円、半分はQといたします。

こういう話なのだろうか、地域通貨って?


朝日新聞 No: 226 [返信][削除]
 投稿者:さかい  02/01/09 Wed 23:40:52

「巨大資本の猛威から生活を守るため市民が地域通貨を始めた・・・」という内容は、ニュアンスの差はあってもNAMの主張とそう変わりません。

Qプロジェクトは初めて知りました。NAMではQというのが通貨単位なんですね。二次元の「円」を乗り越える三次元の球、などと書いてありますが。数字の9とまぎらわしいですね。

それにしても本屋に行けば、マネー雑誌が氾濫していたバブル期はいつのまにか遠いものになってしまいました。(ぼくは「かね」は汚いけど「マネー」ならOKなのかと不愉快でした)


可能なる地域通貨とは No: 225 [返信][削除]
 投稿者:Junky  02/01/09 Wed 00:03:26

ごそんじでしょうが、
柄谷行人らが立ち上げようとしている地域通貨がQプロジェクト。
サイトを見ると、仕組みの説明などはまだ出来ていません。
でも「ペンネーム使用と本人確認書類提出について」というページ(リンク)だけは、
やけに詳しく、これを読んでいると、
けっきょく円への執着が感じられる一方で、
しかしかえってそれは、Qが絵空事ではなくマジであることを示すようにも思えます。

地域通貨って、永久求頼ヨのように、疑いを捨てられないところがある。
朝日新聞は読んでいませんが、
まさか「資本主義への対抗手段として期待」とは書いていないでしょうね。

http://www.q-project.org/manual/penname.html


ぼくはおもしろかった No: 224 [返信][削除]
 投稿者:さかい  02/01/06 Sun 23:10:27

あの、「センセイの鞄」です。
「トラクリ」のあと、「センセイ」を読んだ今年の新年でした。
ぼくはとてもおもしろかった。川上弘美、ずいぶんうまくなった。
奔放な想像力を、統御する術を身につけたな、という感じ。
新しい作家の誕生を目の当たりにした、という感じがあります。

ところで、1月6日、朝日の社説は地域通貨のことだった。
昨日の「アメリカ、アメリカ」というコラムもそう。
NAMが論説委員を抱きこんでいるのか?


そうは言っても No: 223 [返信][削除]
 投稿者:ムキンポ  02/01/06 Sun 20:47:49

『トランスクリティーク』とかここ数年の柄谷の著作を全然読んでないので
適当なこと言ってるだけですが。

http://www.mkimpo.com/diary/2001/himex.html


シャレとマジ No: 222 [返信][削除]
 投稿者:ムキンポ  02/01/06 Sun 20:45:52

>大塚英志が現在を「戦時」とか呼ぶのは、一種のシャレ
>柄谷行人のNAMはマジの実践

うーん、そうでしょうか。僕は大塚英志はけっこうマジだと思いましたが。
柄谷行人のNAMの方がなんだか(なまじマジっぽいところがけっしてオシャレでない)冗談みたいな。

http://www.mkimpo.com/diary/2001/himex.html


大塚英志について No: 221 [返信][削除]
 投稿者:Junky  02/01/06 Sun 19:37:53

大塚英志の柄谷行人批判と関係ありそうなこと。

文学界12月号で『トランスクリティーク』を3人の論者が解読していて、
そのうち大杉重男は、これは洗脳なのか啓蒙なのかと疑問を呈し、
かなり痛烈に批判していました。
おもわず柄谷行人より大杉重男のほうがカッコイイ!と思ってしまった私でした。
大杉重男は、
他者は過去でも未来でもなく現在にこそいるじゃないか(引用不正確)といった言い方で、
柄谷行人を戒めているかんじでした。

大塚英志は、批評に取り上げる対象に他の論者にない視点を感じて、
とても共感しました。(『戦後民主主義のリハビリテーション』で)
たとえば神戸地震の時の筑紫哲也と木村太郎のテレビ実況を比較したりするのです。
しかし大塚英志が現在を「戦時」とか呼ぶのは、一種のシャレだと思うのです。
それに比べて、柄谷行人のNAMはマジの実践です。次元が違ってますね。
こういう比較は両者に失礼かもしれませんが、オウム真理教(アレフ)のようなマジさ。

ムキンポさんも今いわば実践しています。
マジの思想があって、それを実践する余地がある限りにおいては、
実践しないことが、実践することより偉い、なんてことはない。
私は基本的にそう思います。


センセイの鞄 No: 220 [返信][削除]
 投稿者:Junky  02/01/06 Sun 19:07:40

わかる、とか、わからない、という問いが発生しないことこそが、
究極の「わかる」なのではないかとも思うのです。
これは村上春樹についてふとそう思ったのですが、
川上弘美『センセイの鞄』こそ、まさにそれで、
読んでいて、足が引っ掛かったり、もつれたりすることが全然なく、
最初から最後まで気持ち良く運ばれてしまうところが、よかったのでしょう。
それと、世間があれほどテロだ戦争だと騒いでいるときに、
グローバルな観点をまったく思い出させない時空間が、
あっけなくここに存在している、ということも余計にありがたく感じた次第。

というか、ああいう人間関係は素敵かもしれないではないですか。


イリュージョン No: 219 [返信][削除]
 投稿者:Junky  02/01/06 Sun 18:55:47

さかいさん
《ただし、ドーナツと取っ手のついたコーヒーカップをイコールとみる位相幾何学のような視点が柄谷
にはあるので、スリリングなのだと思います。》

ほんとにそのとおりですよね。
そうした軽業や手品のイリュージョンということで、
柄谷行人を言論界の引田天功と呼びましょう。
しかしイリュージョンが結局イリュージョンに過ぎないとしたら・・・?
そういうところが、まさはるさんの批判に繋がってくるのではないでしょうかね。

さかいさんのサイトにある文章(小説?)を今読んでいます。


深読みも浅読みも自由自在 No: 218 [返信][削除]
 投稿者:ムキンポ  02/01/06 Sun 16:15:36

わしもJunkyさんの真似して総理大臣の談話コピー&ペイストしましたよ。
「内閣総理大臣謹話」って部分は載せない方が面白いと思ったんですが、
どうせJunkyさんの二番煎じだし、そのままにしました。

川上弘美って昔、何か短い小説、読んだことあるけど、そのときは全然面白い
と思わなかったな。

http://www.mkimpo.com/diary/2001/himex2.html


失礼しました No: 217 [返信][削除]
 投稿者:さかい  02/01/05 Sat 23:38:26

ぼくが書きこんだなかで、柄谷について、AとBが似ている云々、リアクティブ云々というのは、Junkyさんでなくまさはるさんがいっていたことでした(それにJunkyさんが答えている)。失礼しました。
それにしても「迷宮旅行社」おもしろい。

http://www.cdcp.co.jp/


なるほど  Prev: 215 / No: 216 [返信][削除]
 投稿者:やっちん  02/01/05 Sat 22:09:15

丁寧なレスありがとうございました。総理の言葉のコピー&ペーストだったとは知りませんでした。
ところで調子に乗ってまた発言させていただきますが、その翌日の日誌に川上弘美『センセイの鞄』(平凡社)のことが書いてありましたね。junkyさんはかなりお気に召したようでしたが、ぼくはそれほどでもありませんでした。確かに川上氏の小説は独特の文体を持っていると思います。つまり川上氏の生活観を反映した文体だと思います。しかし、junkyさんが褒めていると自分が何か読みが浅いのだろうか、味わうべきところを味わっていないのだろうかと不安になります。皆さんの中で読まれた方がいらっしゃいましたら感想などお聞かせ下さい。(多忙なjunkyさんに意見を要望するものではありません。)この場を借りて知らない人と交流できたら嬉しく思います。

http://www.mayQ.net/junky0110.html#011202


深読みも浅読みも自由自在 Follow: 216 / No: 215 [返信][削除]
 投稿者:Junky  02/01/05 Sat 14:08:01

(1)小泉首相の談話は、皇孫誕生に対する国民を代表したコメントと位置づけられます。しかし、そうでありながら、あの談話は、建前とはわかっていても、あまりに空々しくぎこちなく、いわば褒め殺しのようにすら響きます。このことは、象徴天皇制が国民に定着したとばかりは言えないことの証しではないでしょうか。

(2)そもそも、皇室賛美のもじり文ではなく、皇室賛美の文そのものが、なぜかパロディのように受け取れるとしたら、なんだか面白いじゃないですか。 しかもそれが、総理の言葉をコピー&ペーストすることで実現するというのも。

(3)しかも、「お前は皇孫誕生を茶化しているのか、けしからん」とお叱りを受けたとしても、私は「めっそうもない、まったく茶化してなんかいませんよ」と答えることができます。

(4)一方で、この日誌の主は本心から天皇制に価値を置いているらしいと思う人もいるでしょう。というか素直に受け止めればそうなるはずです。でも、そうなったらそうなったで、また面白いのではないでしょうか。というかそもそも自分の本心はどこにあるのか。ああいうふうにやってみて、改めて考えてみたかったというのもあるような、ないような。

(5)もっとしっかり天皇制に反対するコメントを書くべきだったでしょうか。「皇孫誕生を祝う」の代わりに「皇孫誕生を呪う」とか。「戦争反対」「テロ反対」も同じなんですが、「天皇制反対」とか書くと、なんというか、自分の歯の痛みを医者が診断するような感じがして、あまりそうしたくないのです。

http://www.mayQ.net/junky0110.html#011201


わたしも、はじめまして No: 214 [返信][削除]
 投稿者:さかい  02/01/04 Fri 21:40:53

柄谷行人で検索して、たどりつきました。
たいへんな文字の量があるので、まだ読みきれませんが、たいへん愉しみです。
junkyさんいわく、柄谷は、
●Aを説明するのに「AはBと似ている」という形で説明する。
●根本的にリアクティブである。・・・とのことですが、その通りですね。
ただし、ドーナツと取っ手のついたコーヒーカップをイコールとみる位相幾何学のような視点が柄谷にはあるので、スリリングなのだと思います。
そうした論理のアクロバットに惹かれてきた読者も多かったとは思いますが、数年来の柄谷はそれだけではありませんね。「トランスクリティーク」も位相幾何学的な視点を重ねながら、最終的に行為への道筋をあぶりだそうとしています。
社会民主主義は「資本制=ネーション=ステイト」の最終形態だ、などというあたり、思わず拳を握りしめてしまいました。
ぼくは、柄谷はずっと読みつづけていますが、読書傾向としてはのんしゃらんなほうです。保坂和志「コーリング」はとてもよかった。(保坂はすばらしい)
ぼくもwebに書いたものを載せているので、見ていただけたらうれしいです。
お話の流れを考えない書きこみになっていたらお許しください。

http://www.cdcp.co.jp/


素直に受け取ればよいのでしょうか? No: 213 [返信][削除]
 投稿者:ムキンポ  02/01/04 Fri 19:24:14

そう思います。↓

http://www.kantei.go.jp/jp/koizumispeech/2001/1201denka.html


はじめまして No: 212 [返信][削除]
 投稿者:やっちん  02/01/04 Fri 13:03:17

日誌はほとんど欠かさず読ませてもらっていますが、ここがあることはほとんど忘れていました。常連の皆さん、いきなりで初めまして&あけましておめでとうございます!
ちょっと古いので恐縮ですが、junkyさんにお訊きしたいんですけど、昨年12月1日の内親王誕生に関する日誌についてですが、あの文章の中には特に皮肉とか風刺は感じられなかったように思うのですが、文章そのまま、素直に受け取ればよいのでしょうか?


大塚英志『サブカルチャー反戦論』(角川書店) No: 211 [返信][削除]
 投稿者:ムキンポ  02/01/02 Wed 23:14:41

「これは予言ではない/柄谷行人 」について「読んだけど、べつだん頭には
来なかったな。」と下の方に書いたけど、今日、『サブカルチャー反戦論』を
読んで、大塚の柄谷批判は正しいかもとも思い直した。

http://www.kadokawa.co.jp/book/contents/200112/200110000439.html


はや、というか No: 210 [返信][削除]
 投稿者:たぐち  02/01/01 Tue 02:01:55

『ゴヂラ』さくさく読めますよ。
ちょうど映画を見に行ったときに持っていったので、
行列待ちの間に読んでいたので、すぐ終わりました。
映画や病堰翌フ待ち時間というのはものすごく良く読めます。
パワーズ、全く読んだことはありません。
新刊のはいつも本屋でめくっていますが。
今年は海外を中心に読んでいこうかなと思っております。
というわけで、今年もよろしくお願いいたします。


知識冒険大河小説 No: 209 [返信][削除]
 投稿者:Junky(管理者)  01/12/31 Mon 06:17:48

>たぐちくん。気仙沼楽しかったみたいですね。

リチャード・パワーズ『舞踏会に向かう三人の農夫』では、
総力戦に圧倒された印象ばかりが強いですが、
こんどの『ガラテイア2.2』も、ともあれ本読みのフルコース体験を期待。
高橋源一郎『ゴヂラ』と、どっちを先にしようかというところです。
『ゴヂラ』まだ買ってないけど、表紙ナイスですね(下)。
たぐちくんは早や読み終えたようですが、そのうち読書感想会でも開いてください。

http://images.amazon.com/images/P/4104508012.09.LZZZZZZZ.jpg


掲示板ではお久しぶりです No: 208 [返信][削除]
 投稿者:たぐち  01/12/30 Sun 21:56:42

パワーズの新刊でJunkyさんがリンクを貼ってらしたのは、
てっきりJunkyさんが作られたのかと思ってたら、
公式サイトのだったんですね。
みすず書房はやることも面白いですね。


管理者本人のものらしい詳しい報告 No: 207 [返信][削除]
 投稿者:管理者  01/12/22 Sat 18:28:51

ああなるほど、他の誰かが貼り付けたということですか。
納得。
兎山さんのサイト(下記)はモー・オタ・サイトとしても名高いですが、
ことしは2ちゃんもモー娘。も
すっかり日本標準となりはてた感アリですかね。

http://www.max.hi-ho.ne.jp/sursis/


管理者本人のものらしい詳しい報告 No: 206 [返信][削除]
 投稿者:兎山  01/12/22 Sat 08:22:23

http://www.mag2.com/m/0000022139.htm
ひろゆきメルマガのコピペですよ。購読購読。


創造開発戦略研究所さんへ No: 205 [返信][削除]
 投稿者:管理者  01/12/19 Wed 02:58:21

リンクしてあるサイト(http://www4.ocn.ne.jp/~mukzke98)
ちらりと見てみました。
ちょっと前ウェブ日誌の小室直樹『数学嫌いのための数学』の話で、
世界をまるごと把握したい欲望、てなことを思いましたが、
そういう切実さを感じました。
同趣のことを、これはだいぶ前「実在とはなにか」と題したページであげた
http://ha3.seikyou.ne.jp/home/donsai/new_vw/index.htm
というサイトにも感じましたね。
もし私が同じように、宇宙全体まるごと把握の書を思いたった場合、
どんな目次がありえるだろうか、とふと考えました。
やっぱり「論理」とか「実在」とか「言葉」とかが大項目になりそうであり、
「文学」とか「国際政治」とかはそうでもないかなとか。
ところで、創造開発戦略研究所って新領域創成科学研究科と響きが似て、いないか。

http://www.k.u-tokyo.ac.jp/j/


穴路地 No: 205 [返信][削除]
 投稿者:Junky  01/12/17 Mon 02:02:44

柄谷行人のルサンチマン?
カントやマルクス並みに扱われないことへの不満とか?

事実の記憶か、記憶の事実か、なんていうと、
『ブレード・ランナー』や『トータル・リコール』が思い浮かびますが、
そういうことは抜きにして、
たとえば「人生を支える確かなもの」などという言葉を、
ぽろっと出させてしまう力が、旅行にはあるかもしれない。
旅行中の現場はいろいろ鬱陶しいことの連なりで、
どこか小説的ですが、
あとになると、まるで詩のような特別期間として思い出される。
おやまたアナロジーでした。

http://www.mayQ.net/


柄谷が No: 204 [返信][削除]
 投稿者:まさはる  01/12/15 Sat 18:03:43

価値転倒者であるとして,
その「一揆」を起こさせる欲望ルサンチマンはどこから生じるのか。

逆に,
それを「一揆」だとみなそうとする欲望が自分にあるということ、
そしてその欲望がどこから生じるのか

を徹底的にリアルに見積もれたら凄いでしょうね。

関係ないですけど、Junkyさんが「追想99夏ー21(http://www.mayq.net/tabi9925.html)」で、
「忘れがたく、されどまた訪れるにはあまりに遠く、
鮮やかな夢のごとし。そういう場所がありますか」という問いかけに対する
一つの答えとして,(場所ではないけど)

<両親の元で過ごした幼年時代>というものがありえると思います。

ドストエフスキー『カラマーゾフの兄弟』の最後の場面でも,
その大切さがとうとうと語られていたと思いますが,
そのような「事実の記憶」は、
より正確にはそのような「記憶の事実」(例え捏造であろうと記憶があるという事実)は、
人生を支える確かなものを与えるような気がします。


思いついたままに No: 203 [返信][削除]
 投稿者:Junky  01/12/15 Sat 17:20:59

*反論や同意にはなっていないのですが。

(一)
柄谷行人は、たんに考えるのではなく、
考えることを規定している歴史的条件を意識しすぎであり、
もっと言えば、移ろいゆく国際政治や社会現象やジャーナリズムに拘りすぎている?

(二)
さてしかし、
「たんに考えること」×「『たんに考えること』の条件や限界を考えること」
こういう構図にした場合、
後者こそ有意義であるように見えます。
しかし、
《「たんに考える」知性も、それが本物ならばやがて、
その知性の出自と成り立ちを疑うようになるものです。》
つまり、
「たんに考えること」を正しく行えば、それが自ずと、
「『たんに考えること』の条件や限界を考えること」に発展する。
哲学は自閉的に見えても、その哲学に強度があるならば、
そういう発展が可能だということ。
柄谷行人は、
「『たんに考えること』の条件や限界を<考えること>」に自覚的だが、
実は、その<考えること>自体は、哲学が持つべき強度を欠いている。
そういうことになるのでしょう。
「たんに考えること」に対して、
「『たんに考えること』の条件や限界を考えること」は、
ひとつ次元は高いのですが、
だからといって、思考の質が高いとは限らないということでしょう。

(三)
さて、柄谷行人の言論について、
●Aを説明するのに「AはBと似ている」という形で説明する。
●根本的にリアクティブである。
という性質が抽出されています。
しかし、そもそも考えるということや分かるということは、
どうしてもどこかそういう形を取ってしまうなあと、
思い当たることがしばしばあります。
これもまた、あるいは、これこそが、
「『たんに考えること』の条件や限界」ですね。

(四)
ちょっと具体的にします。
1「戦争はなぜいけないか」「戦争はなぜ起こるのか」を考えること。
2「戦争はなぜいけないか」「戦争はなぜ起こるのか」とばかり考えてしまうのはなぜかを考えること。
私の実際の関心は1と2の間を揺れ動いています。
しかし本当に考えてみたいのは、2の方なのだろうと思っています。
そういうときに、柄谷行人の本は本当は役に立つのだと思います。
ただし、本当に役に立つためには、
自分の体験を自分の言葉で考えることを徹底しておかないと、
哲学を除けただけなのに哲学を超えたと思い込む恐れがあるかもしれません。

http://www.mayQ.net/


米国同時テロ事件の真相に迫る No: 201 [返信][削除]
 投稿者:創造開発戦略研究所  01/12/10 Mon 01:48:01

拝啓
=絡。回の米国中枢同時テロ事件により、世界は正に歴史的大転換に差し掛かろうとしているようだ。今回の事件は背後に、米国合衆国と欧州合衆国との覇権争いが感じられる。そして世界統一政府を目指す陰の陰謀組織の内部分裂が表面化してきたものであろう。更に、根本理念において重大なる誤りを内包したキリスト教、イスラム教、ユダヤ教等の世界的三大潤雷ウの、実に数千来の歴史的総決算に突入したと言えよう。
=翌サこで、日本民族が世界の指導的役割を果たして行き、歴史的任務を担う時期に来たようだ。ここに提言するものは、新しい国家社会の建設を目指して、広範多岐に亘る諸問題を総合的且つ多角的に検討し解決策を提示するものだ。
=雷体的には、世界最大の未利用資源の火山灰を活用した新素材技術や新思想を元にして、外交問題、種々の磨乱ァ度の整備、行政改革、立磨藍{改革、司磨莱革、憲磨莱正、民磨莱正、産業構造改革、景気対策、内需拡大、国土開発、省資源・省エネ対策、放射性・産業廃棄物処理、コンクリート劣化対策、砂漠の緑化、自然と調和した環境造り、創造立国、創造教育、健全な家庭と生活、真の男女共同参画社会の在り方、夫婦別姓問題、少子化対策、霊魂と神仏の正しい概念、真の潤雷ウと信仰の在り方等を提示し、文明史の大転換を図り、日本のみならず、全世界の窮状を救済して行こうとするものである。
=藍ケせて、国内外の邪悪で猜疑な想念の一掃、廃絶、淘汰を目指して、新たなる光輝ある仏土を厳浄し衆生を利益せんとするものである。
詳細は某HPを参照下さい。
http://www4.ocn.ne.jp/~mukzke98

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