私の日記に出てきた高橋源一郎





●96年5月

あ、また週末だ。しかも5月も終わろうとしている。別にそれはどうでもいいが。あいかわらずなにもしない昼寝と読書とパソコンの日々かと思うと。 高橋源一郎の「タカハシさんの生活と意見」という本を読んでいるが、そこに出てくるタカハシさんもコンビニと家を往復して、それ以外は昼寝と思索に時間をつぶす。文豪とはそういうモノなのだ。現代では。





●96年6月

高橋源一郎の「文学じゃないかもしれない症候群」、とても面白い。「文学がこんなにわかっていいかしら」も基本的にはいっしょだが、どちらか一方をというなら、朝日新聞の文芸時評もまとまっている「文学じゃない・・・」」を僕は取る。
 うっすらとしか感じてなかったことが、今初めて、よく分かる。また時間がたって僕の認識が深まれば、さらに多くを教われる本だと確信している。これから何度も読み返すべき本だ。ほんとうに数少ないそういうい本だ。
 高橋源一郎を、よくわからないながらも、なにか大変な事態を直感してずっと気にしてきた自分がラッキーだとおもう。旅にも絶対なにか持っていこう。
 そしてまた、僕の思考法や表現法の多くが、高橋源一郎氏から来ていることも、もうすでに僕は気がついている。





●96年12月(タイのピーピー島旅行中)

きょうは曇り空でもあり海には行かず。「量子力学の世界」(ブルーバックス)ちょっ と頭に入り始める。量子力学の不確定性と、デリダのいう差延というか言葉の現前の不能 性というかなんかそういうものが同時に指し示しているところのあるイメージは、ずっと 気になっていたところだ。高橋源一郎「文学王」(角川文庫の表紙を上に引用)も読んでいる。 本当に面白い。ページが残り少なくなっていくのが恐ろしい。この人には本当に大きな影 響を受けたと思う。やっぱり文章ってチャーミングでなくちゃだめだ、なんて、こうやっ てすらすらでてくるのもそうだ。持ってきた本はたいてい正解だった。それにしても百ケ ン、乱歩、外骨といえば日本の近代のヘンな鉄人が期せずしてそろったことになる。少し ばかり読みにくいのに、現代のものより安心して読めて、なぜか僕の心を打つ。 一緒に近 代の夜明けを歩いているかのようだ。

今ラジオニッポンで、ペルーのテロリストが日本大使公邸を銃撃し800人を人質にして 立てこもったというニュースを伝えていた。南洋の孤島で国際ニュースを聞き自分の現在 を思う。どこにいても僕は日本政府発行のパスポートに守られているのだから、日本政府 の去就とかかわりを絶てはしない。そこになんと天皇制までからんでいる。こういう意識 を欠いた世界認識はありえないと思う。しかし同時に、高橋源一郎の文学観、柄谷行人の 「他者」という哲学、こういったものも、それとは別個にかつ確固として存在する世界認 識のひとつだと思える。そう考えるとすごい。





●96年12月(プノンペン)

夜はキャピトル(ホテル名)で高橋源一郎の「文学王」を読んだ。とてつもなく面白い。





●97年3月
(昆明から桂林へ向かう列車)

弁当を買って食べたりポテトチップを食べたり高橋源一郎「文学王」を読んだり、だ らだら過ごす。途中の景色はもう十分桂林。





●97年5月

「タカハシさんの生活と意見」(高橋源一郎/東京書籍)という本を読んだら、「吾 輩」と名乗る猫が登場し、きっぱりものを言えないながらついぐずぐずそのわけを考え てしまうタカハシさんと哲学談義をしていました。こちらはどちらかといえば「吾輩」 よりタカハシさんに近いです。





●97年6月

群像の高橋源一郎の小説「日本文学盛衰史」を読み、一回目と同様の仕掛けながら、不意をつかれて世界の塗りつぶしにでくわす。





●97年9月

「群像」10月号の「日本文学盛衰史」(高橋源一郎)は、なん とあの文芸誌に横書きで、しかもあるインターネットの伝言板と連動した小説だった。 文学史的な事件だと思う。





●97年10月

高橋源一郎といえば、群像11月号の「日本文学盛衰記」を読んだ。きょうあ なたの会社で夕刻「ちょっと図書館へ行ってきます」と言って1時間ほど帰ってこなか った社員がいたら、それが僕だ。わはははは。都市の匿名性。遊戯。そうして夜が来 て、ニュースステーションとニュース23とで初めて世界を感じる僕とはいったい何 だ。



●98年6月

雨の中新宿南口へ。新しく出来たHMV。この前触れた「プープーの物語」のサント ラ(三宅純)があったので買う。

サントラといえば、やっとビデオで見た「レザボア ドッグズ」(タランティーノ)の、エンドに流れるつぶやき声のような歌は、ああいう 映画がああやって終わった時の気分にあまりにもぴったりで最高だった。

HMVのあ と紀ノ国屋。「小説TRIPPER」を買う。高橋源一郎が連載「文学なんかこわくない」 で、こう書く。・・・「政治」の本質が「わたしは正しい、やつは間違っている」な ら、「わたしは正しい」と訴える「文学」はすでに「政治」に冒されているのであ る・・・。実はそういう「政治」に冒されない言葉を選んだつもりの「以下同文」であ ったのだが、果たして?





●99年12月

クラシックのCDでも借りようと少し遠くの図書館まで自転車で出かけたところ、な んとリサイクル本コーナーに高橋源一郎「さようならギャングたち」があるではない か。はるばる来た甲斐あった。さらに文学界の「君が代は千代に八千代に」(高橋源一 郎)連載第1回を読む。予想はしていたが、君が代は出てこない。過日の講演で、<僕 はまずタイトルを最初に決めるんです。「さようならギャングたち」も「優雅で感傷的 な日本野球」も「日本文学盛衰史」もそうでした。次に書き出し。カッコいい書き出し が出来れば、あとはどうにかなる。最後は不思議とそういうタイトルに収まるんです> といった趣旨のことを話していたが、本当にそうなのだろうと私は睨んでいる。この連 載がいつどう収まるのか、これは実に楽しみだ。


Junky

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著作=junky@迷宮旅行社http://www.tk1.speed.co.jp/junky/mayq.html