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だらだら話 22

  日本、インド、タイ

 今頃は、アフリカのモザンビクにいるはずだったのですが、いろんなことが重なって今年はアフリカを断念することになりました。留守にする手配を全部整えてありましたので、そのまま他の方々にお願いして、今はのんびりと日本にいます。こんなことは何十年ぶりかですので、新たな発見もありました。
 ひとつは、時間というものは、何かをしてもしいなくても、ドンドン経っていくものだということ。
 普段は、ヨガのレッスンをして、英語を教えて、と、目に見えて何かをしている生活をしていますが、それを全部しないで家事だけをしていても、同じ様に直ぐ一日が経ってしまうのに驚いています。だから時間は使いようというのでしょうか。
 もうひとつは、家事というのは、やってもやってもきりが無く、かなり時間をかけて片付け物などしても、大して見栄えがしないということ、今更のように気づきました。

 子供を育て上げ、その子供たちが巣立っていった後、自律神経失調症になったり、うつ病になったりで、何とか症候群という名前までついているそうですが、そういうこともあるだろうということが、今回良く解りました。私の周りにも現にそういう方が何人かいらっしゃいますし。
 私などから見ると、専業主婦をやって、家事をしっかりやって、ご主人に心配をかけず、子供を立派に育て上げたことだけで、立派な大事業だと思います。そのことを回りが認めることも大事ですが、ご自分でもそれを認識して、自分を褒めて大事にしてあげてください。

 今日はそういうわけで、旅のお話というわけにいきませんので、その代わりにというか、ちょっと面白い写真が出てきたので、お目にかけます。約20年前初めてインドに行って、思いがけずもヨガを教わる羽目になったときのことです。

 この写真の中のムスタフィ先生ももう他界されました。「だらだら」のごく初めの方でお話した、教え魔の先生です。私を初めてヨガの世界に入れてくださった恩人です。
 3人で坐っている写真は、私と、先生の息子さんの奥さんたちです。この写真を見たときに、「姿勢のいいのは私だけだわ。」と思ったのをおぼえています。あとから見ると、私だけが力が入って突っ張っていて、ヌメラさんとリナさんは、すとんと力が抜けているのですよね。
 背景に見える水はガンジス河です。

 力を抜くというのは、なかなか難しいことのようで、私のクラスでも、新しくいらした方はビンビンに力が入っていることが良くあります。注意しても中々直ぐには出来ないようで、やはり長く通っていただくより仕方が無いようです。こういう方は、日常の生活にも力が入っていて、さぞ疲れるんだろうなと心配になります。
 ご自分で、独学していらっしゃる方は、いろんなアサナを研究なさるとともに、力を抜いてのんびりすることも、努めていかれることをお薦めします。そのためには、呼吸をゆっくりとすることが欠かせません。
 体の力を抜くことと、心の力が抜けることとは、切り離せませんので、その意味でも、体の力を抜く練習そしてゆっくり呼吸する練習が大切です。
 ゆっくり呼吸する練習方法のひとつとして、足芯呼吸があります。これはヨガではなくて、合気道からきたものですが。足の裏のちょうど中心あたりをソクシンと読んで、其処から息を吸い上げます。おなかまで入れて、出す時は、又脚を通って足の指から出すか、ソクシンから出すかはご自由です。この頃、外から丸見えのエレベ−タ−がありますね。自分の脚を、あのエレベ−タ−が上下するのを見るような気持ちで、息の上がり下がりを見てあげてください。多分、自然にゆっくり呼吸が出来ると思います。それが気持ちを落ち着けますので、即、リラックスにつながります。そして気が下半身に集中しますので、上半身が虚になり、下半身が密になります。これがいいのです。
 この頃、病院の偉い先生の中に、病気の80%はストレスから来るという方がいらっしゃるそうです。心の力を抜くことは、即、ストレス解消につながるわけですから、大切ですよね。

 もうひとつ、心を楽にするのに、人のことを気にしないという技があります。現代の日本は、宗教のあまり無い国なのに犯罪率が低いのは, みんなが社会の目を気にするからだといわれています。これを日本教と呼ぶ人もいるようです。ある程度、宗教の代わりをしているのでしょうね。それは良い面なのですが、その裏側に有る欠点として、人のことを気にしすぎるという点があるのは否めません。

 人が自分のことをどう思うかを気にしないだけで、どれだけ人生が楽になるか知れ無いと思います。
 これは私の持論なのですが、人は他の人のことをそれなりの値打ちにしか評価しません。どんなに背伸びして, 頑張ってみても、わたしが仮に50点の人間であれば、人は50点にしか評価してくれないのです。
 勿論、誤解というものはあります。でも誤解を受けることを怖れて、こんなことをしたら悪く思われないかしらなどと心配してみても仕方の無いことなのです。誤解する人にはさせておきましょう。そしてその人が貴方から、去っていくなら、その人は貴方の値打ちがわからない人なのですから、熨斗(のし)をつけて去っていただきましょう。日本には,1億2千万人の人がいるのです。50人や100人が貴方を誤解して去って行ってもどうってことはありません。
 いい友達というものは必ず湧いてきてくれるものなのです。何かで貴方を誤解して去るような人は、いずれいつかは去るようになる人なのですから、惜しむのは止めましょう。そして自分を大事にして落ち着いていれば、必ずいい人たちが寄ってきてくれます。

 こういうと冷淡なようですが、外国で住んだことのあるような方は、「日本人は気を遣いすぎる」という私の意見には賛成してくださると思います。私は外国に住んだことはありませんが、かなり外国の人たちと付き合っていますので、これは間違いないと思うのです。

 それに、本当に気を遣うというのは実に難しいことだということに、気の付いていない人も多いように思われます。気を遣ったつもりで何かをしようとするとき、相手の人がそれを本当に欲しているのかどうか、考えてみる人が何人いるでしょうか? それを考えたら、そんなにちょいちょいは【気を遣う】チャンスは転がっていないはずだと思いますし、それを考えずにする【気遣い】は自己満足にしかすぎないのではないでしょうか?
 兎に角もっと、気楽に生きてみませんか? そうすれば病気もずいぶん減るはずです。

 此処で、フッと思いついたことがありますので、別の写真をお目にかけましょう。去年の11月頃にタイに行った時のものです。
 タイもやはり国際関係の川崎さんの紹介で、タイの農村のマンゴ農家に居候しました。マンゴはオフシ−ズンで農閑期でしたので、のんびりとさせて貰ってきました。一昨年に行ってとても良かったので、去年は友人の松本さんを誘っていきました。

 最初の写真が、稲こき(陸稲)に参加している松本さんです。何とも原始的なやり方ですよね。日本でも、終戦後にはこういうやり方だったのを思い出します。この写真と、学校のコンピュ−タ−教室との、落差を見て下さい。教室の方は、日本も顔負けの設備ですよね。

 次の高床式のは、マンゴ農園の中にある住まいです。風通し満点です。

 そして、奥さんがお料理している写真はその2階で、此処が台所です。床板に隙間があり、料理の屑でも排水でも、みんな其処から下に捨てます。下にいる鶏や家畜がそれを食べるのです。非常にうまく出来ているようですが、ものすごい蝿の発生は多分此処からきていると思います。
 これは、みんなでおやつを食べているのだとおもいます。手前にバナナが見えますが, 果物は食べ放題です。マンゴのほかに、殆どあらゆる果物を農園で作っていますので。
 真中がご主人で、実に穏やかな小柄な方ですが、この辺の名士らしいです。何しろ言葉が通じないのでよく解らないのですが、多分、マンゴ栽培を導入して成功したので有名になられたのではないかと思います。

 此処の主食はもち米です。日本でお餅を作る時にもち米を蒸かす、その状態で出てくるのです。各自がそれを指で丸めて小さいお団子状にして食べます。辛い醤油のようなものが別に出されて、これを好きなだけつけて食べるのです。いくらでも食べられるほどおいしいのですが、これはタイでは、貧乏人とか百姓が食べる主食として軽蔑されているようです。値段ももち米の方がずっと安いのです。ぱらぱらのタイ米よりも。町の食堂では、めったにもち米ご飯はだしてもらえません。ぱらぱら飯があまり好きではない私たちにとって、これはありがたくないことでした。
 でもこの辺の人は、もち米ご飯で大丈夫か? と皆さんが気にしてくれるのです。

 タイの話を始めたら、思いがけずだらだらと一杯出てきましたので, 一旦此処できります。続きを近いうちにお届けします。(多分) 

2006年3月



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〈筆〉waikari bahchan=木村詩世