追想 '99夏

旅先でことさら
思い当たらなく
てもいいことに
思い当たる旅先

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9.9第29日ウルムチ
インターネットカフェ

朝、国際列車の切符を買いに行く。売場の窓口が開くと、並んで待っていたウイグル人の間に、並ばず脇で待っていた漢人が急に割り込もうとして、大揉めになり、もう少しで殴りかかるほどの勢いだった。早く来た人から順に並ぶということをせず、小さな窓口や乗り物にいったん全員が均等に群がって押して押されてそのとき前になった人からの順番という漏斗のような中国方式の問題点と、ウイグル・漢の仲の悪さを実感した。しばし見物少し応援ののち、あさって11日発の寝台が無事とれた。409元。列車の名前はチンギスハン号というらしい。切符には「烏魯木斉(ウルムチ)ー阿拉木図(アルマトゥ)」と書いてある。いよいよこれでカザフスタンだ。

最高気温19度。きのうに増してきょうは肌寒い。空はまさに抜けるような青く、日射しは強いが完璧に乾燥していて身体の表面がさらさらと気持ちいい。

紅山という小さな山が市内にあり全体が公園になっている。その界隈の通りは手入れされた緑が多く、美しい町の印象だ。歩いていると、ホリデイインがそびえていた。中を見学し、ついでにコーヒー豆がないか尋ねてみたが、要領を得ない感じだった。しかし瀟洒なホテルだ。

近くにあるインターネットカフェへ。他の旅行者から聞いていたhotmail.comの存在を実は初めて実地に認識し、登録した。便利になったものだ。世界中どこからでもメールの送受信ができる。2、3の人にメールを出した。こういうコミュニケーションには未だにワクワクする。日本からの途方もない遠さとインターネットによるあっけない近さを実感して妙な気分だ。電網の中をバイトの言葉が伝わり、人と人が結ばれることの不思議さを思う。

その紅山公園に入ってみる。小高い岩山のてっぺんからは、ウルムチの市街地が一望できた。高層アパートと道路を行き交うたくさんの車。日が傾く中、岩に腰を降ろしてずっと眺めていたが、飽きなかった。

9.10第30日ウルムチ
天池の夏目漱石

天池という名の湖がある。外国人であれ中国人であれウルムチ観光に来た者がこぞって訪れる所だ。日帰りで往復するバスが市内の人民公園という所から毎日出ている。そのバス、天池までそう遠くもないのに、朝がかなり早い。時刻を正確には思い出せないが、暗いうちから起き出した。もちろん寒い。長袖シャツにウインドブレーカーを着込む。朝飯も食べられない。バス発着場の近くではトイレもなかなか見つからない。中国の観光事情はいつも、快適ということをとことごとく遠ざけようとするかのようだ。しかし、天池の明媚さは、それを補って余りあるものだった。

天池は、バスで山をどんどん上っていった高原にある。白い雪を被った5千メートル級の山脈を背景に、碧の湖面が穏やかだ。周辺はカザフ族の居住区になっている。彼らは観光客を生活の場であるテントに招き、移動の道具である馬に乗せ、金を稼ぐ。客は毎日バスで大量にやってくるから、彼らもその商売が日課になっている。「騙し脅しで金をふんだくるので注意せよ」といったことがガイドブックに書いてある。確かに客引きはしつこくスレてもいるようだった。私は湖のすぐ畔や見晴らしの良い所に座って時間を過ごした。そこにもカザフの青年が寄ってきた。しかし彼らは別段がめつく儲ける気などなく、ただ日向ぼっこでもしている風の呑気さだ。人なつこく純情な人たちでもある。こちらも暇すぎるくらい暇なので関わりあい、英語がだめで会話がさっぱり成立しない割にはなんだかんだと仲良くなった。日本のコインを見せたりとか、お互いの名前をお互いの言語(カザフ語と日本語)でメモ帳に書いてみたりとか、そういうことで場は持つ。あることを思いついて千円札を取り出す。夏目漱石の顔のところを縦にW字型に折り、その状態で札を斜め上から眺めると髭面の夏目漱石が笑ったり怒ったりする遊びをご存じだろうか。それをやってみせたら、ちゃんとツボにはまった笑い顔でウケていたから、ああこんなくだらないことをこんなところでわざわざやった甲斐があったと嬉しかった。いやどうも明治の文豪のおかげです。漱石は小説本も持ってきて旅の終わりの方で世話になるが、カザフと日本の友好にも一肌脱いでくれたわけだ。最後に彼らと一緒に写真を取った。そうだ、写真を送ってくれと言って二人の青年が住所を私のメモ帳に書いたのだった。う〜ん早く出さないと。

全く同じ羊料理を食べて、うまいと感じる人の脳と、うまくないと感じる人の脳と、その反応の違いはどこがポイントなんだろう。舌が受け止める生理的化学的刺激は同じはずだが。気分や記憶などの領域と絡んだ絶妙なシナプスの綾があるんだろう。味覚全体としては、脳はかなり高度に働くのではないか。しかし猫であってもドライフーズよりデリシャスなツナ缶をためらいなく選ぶことを考えると、高度といっても猫程度ということか。

本は養老孟司「唯脳論」をちびちび読んでいる(上のようなことを書いたのはそのせいだろうか)。筑摩書房から文庫で出ているのを買ってきた。この人の容赦しない物言いが好きだ。それでいて、営利な---いやそれはカザフ族だ---鋭利な言葉が、どこか人を食ってトボケた味を伴って綴られる。

9.11第31日ウルムチ→国際列車
中国の残り香

またインターネットカフェへ。きょうは私が管理しているBBS「東京永久観光」に書き込みをしてみた。ローマ字で。私が旅行中だから誰もアクセスしいないかなという気もするが、ともあれカタカナのたどたどしい言葉であっても、自分をインターネットに乗せてどこかに伝えて初めて、やっと本来の自分に戻れたような気がする。コミュニケーションとは。インターネットとは。*以下その書き込み---

Junky de arimasu.
Ima China no urumuchi wo ryokouchuu.
Internet cafe ga atta node kaite mimasita.

Shitano Shade sanno Kakikomi ha
zenbu chuugouno kanji ni mojibake surunode,
totemo muzukasii koto ga kaite aruyouna kini narimasu.
shortcut119 toiu moji dake yomerunode tabun toukou sareta no
desyouka?

Kyou korekara Kazafstan ni ressya de mukaimasu.
Sarani Kirugisu ni haitte, rachisarete nippon ni kaeru keikaku desu.
Aa sikasi communication toha tanosii desune.

TOKUSYUU#1
Junky ni mail wo dasite miyou!
junkyjapan@hotmail.com toiu address de
sousin jusin dotiramo dekimasu.

新疆ウイグル自治区博物館へ。たくさんの遺物。様々な文明や民族がこの土地で歴史を刻んできたことが分かる。しかし、太古からの豊富な工芸品・美術品などが並んでいるのを見ながら、これらは博物館の外、現在の中国で見かける品と変わらないのではないかという、おそろしいことに気が付く。シルクの織物なども陳列棚にあるのと同じデザインが今も使われているようで。中国よ、いったいいつの文明を今やっているのか。別にいいんだけど。伝統的な文化・技術は遙か昔から完成の域に達していたというだろう。しかしかつて火薬・紙(以前ここに印刷術と書きましたが、間違い)・羅針盤などを創出したはずのこの大陸で、現代の工業製品に限って言えば、中華人民共和国のこの50年間に外国人が欲しくなるような品はなに一つ生み出されてこなかったのではないか。デパートなどで我々の目に触れる中国産の普及型工業製品は、端的にボロい。すぐ壊れる。服も靴も鞄も、電化製品も自転車も、加工食品も食器もテーブルも。建物の造りもドアの鍵や窓枠も、何もかも。誤解してもらっては困るが、別にバカにしているのではない。私が中国製品を買わず日本製品を買う境遇にあるのは、私が偉いからではなく、たまたま日本に生まれたからにすぎない。また、単に物品の優劣の話であって、長き歴史を踏まえた国や国民の優劣を述べているのではない。いや国や国民の優劣を述べたって別にかまわないのだが、今はその話ではない。

博物館に行く途中にあったホテルにトイレを借りに入った。これがまた一昨日のホリデイインに勝る豪華さで、そのトイレたるや中国標準の1000倍は綺麗だった。用が済んで、ふとロビーの方を見ると喫茶スペースがある。となるともしや、待望のコーヒー豆が....。あ、ある、あった。しかもそれは、ブラジル・マンデリン・モカ等々10種類もの輝くガラス容器にそれぞれ入って誇らしげに並んでいる。これぞリアルコーヒー。やっと見つけた。あのうコーヒーがほしいんですが、といっても今ここで飲むんじゃなくて、そのう豆を分けてほしいんです。ホテルにしてみたら変なお願いだったろうが、どうにか意は伝わった。すると店員たちは、ちょっと困って、上の者に聞いてみますとやや大げさになって、実際に誰かと相談してきたようで、さてその結論は「はい、お売りできます」、ただし「100g分で300元となります」と。ええっ300元?いくらなんでもそれは高い。だいぶ迷った。しかしそこまでは出せないと判断し、諦めた。このロビーに座ってコーヒーを飲むと1杯34元もするから、そこから換算したとすれば、仕方がない。

同室の日本青年が音楽好きで、中国のどこかの町でストリートミュージシャンにトライしたら面白かったと話す。さらにいろいろ聞くと、医師の試験に合格したばかりの学生だった。外科医になるという。今は外科も人気がなくなりつつあるとか、目指す科によって学生の性格が違い、外科には彼のような体育会系(気質?)の学生が多いとか。病院勤めで特に外科だと、もう二度と海外旅行になんか出られないですよと、本当に寂しそうに言う。快活で気取らない人。善い医者になってください。口笛でビートルズの「ハッピネスイズアウォームガン」を吹いていた。

夜にはウルムチすなわち中国を発つことになる。カザフスタンで元が両替できるとは聞いているが、少額紙幣は使いきってしまおうと、列車に持ち込む食料などを調達した。プリングルズのポテトチップス、半中国製のチョコレート、マクビティビスケット、などなど。腹ごしらえに繁華街の中心にあるハンバーガーショップに入った。赤と黄色の看板は、マクドナルド(ウルムチにはさすがにまだない)にデザインを似せたと思える。 チキンバーガーとポテト・コーラのセットは問題なくうまかった。18元。ところでここに来る人は金持ちの部類なんだろうか。蘭州でYくんに聞いた話からすれば、普通の中国人の所得では、毎日気軽に入れるものではないと思うが、でもそう気張って来ているようでもない。分からないことは多い。

ウルムチ発アルマトゥ行きの列車は、夜11時ちょうどに出発した。ロシア系の巨大なおばさんが大勢乗り込んでいて、ただでさえ狭い通路がよけい狭苦しい。寝台は4人一組のコンパートメント。北京からウランバートルさらにシベリア鉄道でモスクワまでを結ぶ列車と同じ型式のようだ。同室になった人が大量の中華食料を持ち込み窓際のテーブルに並べて食べている。このぶんでは、国境を超えてカザフ領に入っても、においだけはずっと中国のままだ。

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Junky
1999.12.11

http://www.tk1.speed.co.jp/junky/mayq.html
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