追想 '99夏

旅先でことさら
思い当たらなく
てもいいことに
思い当たる旅先

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10.1第51日サマルカンド→ブハラ
ブハラの営業スマイル

5泊してゆっくり見て回ったサマルカンドを発つ日。バスは11時半に動き出したが、なぜか修理工場のような所に寄って、またバスターミナルに戻り、結局13時に出発。こういうことばかりだ。

以前と同じ大型バス。ブハラまで687ソムとまあ安かったが、やはり疲れた。風邪でもひいたのか朝から体がだるく、薬を飲んでまぎれたが、夕方になってまた調子が悪くなった。ブハラに着いたのは19時過ぎだろうか。完全に日が沈んでいた。サマルカンドと違い、車はほとんどなく人も少ない。真っ暗なバスターミナルでタクシーを拾った。街灯のない狭い路地をタクシーは進み、町の中心にあるラビハウズという所まで来た。ラビハウズとは、池のほとりにイスラム建築群と食道が軒を連ねている賑やかな一角だ。

この近くにバックパッカー向けの「ファティマおばさんの民宿」があるという。営業を始めたばかりでガイドブックに記載はないが、キルギスで会った旅行者から居心地がよいとの評判を聞いていたので、ぜひそこに泊まろうと決めていた。

民宿は、本当にラビハウズの池の目の前だった。あらん限りの笑顔で迎えてくれたファティマおばさん。案内してくれたのは、広くきれいな3人部屋で、風呂とトイレも着いている。気にいった。ところがいざ宿代を尋ねると、聞いていたよりだいぶ高い。へんだ。頑張って値切ったものの、3人部屋に2人で入り朝飯がついて、合わせて一日7000ソム。「ムビンジョン(ガイド本にもある有名な安宿)なんか行ってごらん、ひどい部屋なんだから」。なんだけっこうやり手のおばさんじゃないか。まあ、しかし、宿も値段も決まったら、もうぐだぐだ考えないに限る。

と、すぐ食べに出た。そのラビハウズにある食堂。ラグマン(羊肉入りの濃い汁のかかったウドンないしはスパゲッティ)、シャシリク(羊肉のバーベキュー)といった定番のほかに、ポテトとかハンバーグとか卵とかいろいろあって満足した。池に面した露店のテーブルで、池は夜遅くまでライトアップされ、噴水まで上がって、いい雰囲気。周囲に猫がいっぱいいるのも、なんとなく和んでいい。

10.2第52日ブハラ
正調ブハラ観光記

朝食は、久しぶりの目玉焼きにバター・ジャム付きナン。この朝食はこの宿で最もポイントの高いところだったが、とりわけナンがうまかった。ナンはどれも同じ生地を同じように焼いただけだかとみえて、実は味や触感に差がある。サマルカンドの分厚く膨れたナンが有名らしいが、私はもっと薄手のものがうまいと思った。朝食を用意してもらった食堂は、やはりまだ新しく、飾り付けや手入れも行き届いている。

宿のゲスト全員がここにそろって同じテーブルで食べる方式。ここで日本の旅行者Kくんと会った。アジアだけでなく世界中のあちこちを訪ねている人で、それぞれの都市やそれぞれの人物をおもしろく描写する。旅慣れており、わざと小ざっぱりした服装とビジネスバッグにも見える荷物は、これも旅のテクニックのようだ。

さてブハラは、中心地は右も左もすべてイスラムの遺跡という感じだ。そういうのと並んで、雑貨屋があったり土産物屋があったり、時には民家があったりする。サマルカンドも遺跡の宝庫だったが、ブハラは町の規模が小さいし、現代風の道路や建物が全く見あたらないので、町を歩くとすぐ古いイスラム都市の雰囲気に完全に取り囲まれる。サマルカンドの活気もよかったが、ここの落ち着いたムードと時間の流れも代え難い。

日記緊縮政策で、実はここ二日間の記録はかなり少ない。ずっと中央アジアを移動してきて、イスラムの建物も、ウズベクの装束も、シャシリクとかの食事も、もはやすっかり日常の背景となりはてているせいか、さしたる感動の言葉も残っていない。しかし今にして思えば、ここブハラの印象はとりわけ深い。こんな不思議な場所で過ごす日々は、やっぱりほかでは体験できないだろう。タシュケント、サマルカンド、そしてヒバと回ったウズベキスタンの中で、いちばん良い所をあげろといえば、私はブハラだ。

イスラム建築といえば、モスク(メッカに向かって礼拝するために集まる場所)、マドラサ(神学校で小さな教室がいくつも連なっている)、ミナレット(塔)がだいたいセットだ。いろいろな時代のものがあるようだが、どれも煉瓦を積み上げて造られ、表面には青を貴重としたタイルが無数に張ってある。イスラム教で偶像崇拝が禁止されているのはご存じだろうか。壁などの装飾が抽象的な幾何学模様だけで出来ているのは、そのせいだ。モスクに額づくムスリムは、帰依するアラーやマホメットを具象的な彫像や絵画として見つめることはないのだ。ではそういう時彼らは、神アラーにどんなイメージを抱いて向き合っているのだろう。人のような姿を思い浮かべることは本当にないのか。どうなんだろう。たとえばわれわれが「永遠」とか「究極」とかの抽象的な言葉でイメージするような何か(それが何かは具体的にはいえないわけだが)を、ぼんやり思い浮かべているのだろうか。

で、それはそれとして、ブハラの象徴ともいわれる46メートルの塔カラーンミナレットを見にいった。1127年に建てられ、チンギスハンの侵略にも破壊されなかった。ミナレットはそもそも、人々に礼拝を呼びかける声が遠くまで響くようにと、高いところからアナウンスする目的で建てられたのが、のちに塔の偉容さ自体を競うようになって必要以上に高くなったという。死刑囚をここから袋に詰めて突き落としたりもしたらしい。このミナレットは、観光客も内部の階段を使って登ることができる。天辺につくと、絶景。息をのむような。ブハラの全景をしばし時間を忘れて眺めた。ミナレットの眺めも、ミナレットからの眺めも堪能したわけだ。

ここはミナレットのほか有名なモスクやマドラサも集まった観光拠点で、物売りの子供たちがワッと寄ってくる。絵はがきを買ってくれとか、私が手にしている双眼鏡を貸してくれとか。みな近所の子のようで、学校の合間に片言の英語で楽しくビジネスという感じだ。つきあってたらキリがない。実際、つきあってたらキリがなかった。

そこをやっと離れて少し歩くと、古城が見えてきた。このあたり一帯を支配していたハーン(王)の居城だったという。ハーンの絶対的な力がなにかとしのばれる城だ。ブハラハーン国はソ連赤軍に滅ぼされる1920年まで存続し、ハーンも実際にここに住んでいた。もしもそのころ旅行に来ていたら、今にもまして珍しい光景の連続だったろう。

さらにイスマイール・サマーニーという霊廟も見た。中央アジアのイスラム建築としては最古(9世紀終わり)のもの。けっこう町の外れにあったが、町の様子を見ながらうろうろとそこまで足をのばした。他の観光客がいない時間は、静かで落ち着く場所だった。

結果的によく動いた一日。朝から全く雲がない真っ青な空に、さらに青いモスクのドームが鮮やかに映えていた。

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Junky
2000.3.11

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