立花隆の腕時計

昨夜のニュース23(TBSテレビ)で、返還の日の香港で収録したという立花隆と筑紫哲也の対談が放送された。そのとき立花隆が腕時計を二つしているのが目にとまった。香港時間と日本時間か、いや一時間の差だから、わざわざそこまで必要ないだろう、すると、もしかしてグリニッジ標準時か、さすが立花隆! しかし、なぜだ? う〜む。
対談が流れた後スタジオでそのことが話題になった。実は返還式典に出た人全員に記念品として腕時計が贈られたらしい。収録はその後だったようで、立花隆はもともとの自分の時計と両方つけていたというわけだ。

これを聞いて僕は立花隆という人にますます好感を覚えた。普通そういう記念品なんてすぐ身につけたりしないし、ましてや二つ重ねてつけるなんて、早い話が貧乏症である。そういえば対談では髪の毛が例によってぼさぼさだったし、服装もよれよれに見えた。「第一回尊厳貧乏大賞」をあげてもいいとさえ思うエピソードだった。

ところで、立花隆は昨年から東京大学で「人間の現在」と題する講座を開いている。その模様がインターネットで紹介され、東大生の書いたリポートや先生である立花隆の採点、批評まで出ていて興味深い。今年からは文芸誌「新潮」で講義内容の連載も始まった。最近図書館通いが頻繁な僕は、なんとなく毎号ロビーで読んでいる。今のところ東大生への叱咤と脳の話が中心だ。
人の脳は部位ごとにさまざまな役割を担っているが、それらをつなぎまとめる働きをする所は連合野と呼ばれる。その連合野のうち第39連合野と呼ばれる所は「連合野の連合野」ともいうべきセクションで、感覚器からのインプットも運動器へのアウトプットもなく、ただ脳味噌の中だけで情報をやりとりしている。しかも面白いことに、第39連合野は言語機能と大いに関係があるらしい。
そんなことが出たばかりの8月号には書いてあって、やはり言葉の謎は考えるということの原理に関わっているのだ、と感心したりした。

そもそも普段はあまり手に取らない文芸誌だが、このところ図書館で欠かさず読んでいるものがもうひとつある。「群像」に連載中の高橋源一郎「日本文学盛衰史」だ。これもとても面白く、講義「人間の現在」と合わせて読むと、人の偉大さ言葉の偉大さに大きく溜息をつく一方、あれきょうもいつのまにか日が暮れた、と別の意味で深い溜息をつくこの頃である。なお、高橋源一郎といえば、サーチエンジンのgooで「高橋源一郎」を検索してみたところ、僕のページにある高橋源一郎ネタまでリストアップされ、噂にたがわぬgooの威力に驚いたものだ。

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Junky
1997.7.11

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