天皇 まとりた 天皇新論 新しい歴史教科書をつくる会 鈴木邦男 若松孝二 島田雅彦 常石敬一
天皇感情
 ―『まとりた』を読みつつ―



●感情論はやめよう

天皇の存在を、感情論を抜きにして
 議論することの意味を考える

オピニオン誌「まとりた」13号『天皇新論』(発行モジ カンパニー)は、まずこう宣言する。私はこの誘いに全面的に乗ってみたい。天皇をめぐる議論が、左右分断と二項対立の感情論によって阻まれてしまう無念さは、これまで多くの人が身にしみてきたことだろう。

ただし私が思うに、ここでいう感情とは天皇そのものに向けた感情のようでいて、実はそうではない。むしろ議論の相手に対して抱く感情のことを指す。つまり天皇を論じているはずの言葉や口調が、一皮むいてみれば、なんのことはない、自分と意見が対立する陣営への凄まじい感情で占められていたということが、よくあるのだ。

たとえばの話、相手が「陛下」という呼称を使ったら、もうそれで「そんな奴とは議論したくない!ムカムカ」とか、逆に、相手が「裕仁」という呼称を使ったら、もうそれで「そんな奴とは議論したくない!ボカスカ」といった感情論である。こうした不信感に寄りかかった論争は、流れに乗るのは楽だが、不毛だ。いっぺんそこを踏ん張ってみないと。

天皇に対するスタンスが、つい天皇崇拝あるいは天皇糾弾といった色彩に染まりがちなのも、それが感情論から帰結したせいだと考えてみてはどうだろう。天皇を語るって、本当はもっとぐずぐずしたことなんだ、きっと。いや、天皇崇拝や天皇糾弾がいけないというのではない。ただ、それは議論ではない。したがって、硬直した崇拝や糾弾に思考の実りは期待できない。



●議論をしよう

『天皇新論』にはたとえば高森明勅という人が出てくる。「新しい歴史教科書をつくる会」理事だという。「ああそういう人ね」と思う。一方で常石敬一という人が出てくる。『七三一部隊』『消えた細菌戦部隊』などの著書が有名。「ああそういう人か」と思う。しかし二人の論を読んでみると、予想と違って柔軟なことに驚かされる。

高森氏の論は、男女同権のためでなく皇室存続のために女性天皇を認めよという主張だ。論点にも意見にも私は同意しないことばかりだった。それでも、高森氏が議論の土台を持つ人であることは感じられる。

雅子氏の出産に応じて、《国会で祝意を表明する「賀詞」が全会一致で議決された。全会一致ということは、社民党はもとより日本共産党も賛成したということだ。これは一体どういうことか。/いずれあわよくば「天皇制」を廃止してしまいたいと目論んでいる政党が、いくら釈明し理屈を述べても、祝意を表す側に回ってよいのだろうか。そういうのを二枚舌と言うのではないか》。これなんか「まったくだ」と頷いてしまった。私はどちらかといえば「いずれあわよくば天皇制を廃止してしまいたいと目論んでいる」一人だと思う。それなのに、共産党を諌めるこの言い分には無性に勇気付けられる気すらした。

続いて常石氏の談。

僕は天皇制について賛否の議論をするつもりはないんです。左翼が天皇の戦争責任を言う場合、責任は全部天皇にあって、弱き民衆にはないと言わんばかりでしょう。いわば天皇にすがっている。それは名もなき一般の民は一個の人間として認めないということになるわけですよ。

七三一部隊の研究のために《多くの関係者にインタビューをしたのですが、「(昭和)天皇のいるうちは言えないよ」という証言者がかなりいました。そこに本音がある人もいるだろうけど、証言から逃げるために天皇を持ちだす人もいたと思います。

このあたり、信念だけでなく懐疑をも忘れない人だと思える。そこに共感する。さらには――

特定の史観があれば、たしかに歴史をみるとき便利かもしれませんが、その史観に縛られる不自由さもあって、それゆえに重要な史実を見落としたりする。人間、都合の悪いことは目にはいりませんから。天皇の戦争責任云々するにしても、一度史観の呪縛から解放されないと・・・・・・》。
七三一の犯罪を暴く常石氏が言うんだから、これは「つくる会」サイドの歴史観に対する批判かなと思い込みそうになるが、そうではない。

また天皇意識が薄れていく現状に、こんなことまで提案する。
では天皇がアイデンティティではなくなった日本人は何をよりどころに生きていくのかという問題がある。アイデンティティなしで生きていくというのは、ある意味では気楽かもしれないけれども、不安な面もあるはずです。生涯を終えるときになって、自分の一生はなんだったのかと思うこともあるでしょう。そこにもう一度天皇という存在を置いてみた場合、どうなるのか。そういう思考実験をやるべきだと思います。少なくとも一九四五年八月十五日までは多くの日本人にとって天皇ヒロヒトがアイデンティティだったのですから。

この述懐は胸に強く響いてきた。ここからなら議論が始められそうだ。



●「感情論」は「天皇感情」を損なう

感情論を排して議論を。・・・とはいえ、私はもちろん、天皇という存在を、これまで生活することで形成されてきたなんらかの感情を伴って眺め、語る。天皇にかぎらず、どんな事象であれ基本的にはそういうものだ。これを、個人が現在進行形で持つ「天皇感情」と名付けてみる。

「天皇感情」とは、冒頭に述べたことでいうと、天皇そのものに向けた感情の方を指す。最初に批判した「感情論」とは別物だと捉えてほしい。『まとりた天皇新論』も「天皇に対する個人の感情を脱色せよ」と宣言しているのでは全くないと、私は受けとめている。それどころか、こうした「天皇感情」を抜きにして天皇を論じてしまう時にこそ、対立陣営に向けた固定的な「感情論」に囚われてしまう。同時に、「感情論」に囚われることで個人の「天皇感情」がないがしろにされてしまう。それがいちばん嫌だ。



●じゃあ天皇感情って何さ (1)

個人が現在進行形で持つ「天皇感情」。したがってそれは、各自が今そこでそれぞれ思い浮かべるべきことなのだが、たとえば――。

私は、雅子氏のことを「雅子さまがさあ」とは口が避けても言えない。だからといって、あえて「雅子がさあ」と呼び捨てにしようとすれば、口がこわばってしまう。こうした気分は常に支配的だ。これは「天皇感情」の端的な例だ。

誤解のないよう付け加えておくが、私は、鈴木宗男氏や田中真紀子氏だって、あるいは元ちとせ氏だって、「宗男さま」「真紀子さま」「ちとせさま」とは呼ばないし、必要もないのに「真紀子」「宗男」「ちとせ」とも呼ばない。

あれ?でも私の日誌には「宗男」とか「真紀子」と書いてあるぞ、おかしいじゃないかと言われるかもしれない。しかし、それはそういう文体や文脈だからであって、非難や悪意を込めて呼び捨てにしたわけではない。

いやもちろん悪意で「宗男」と書いたこともあったのだが、それも悪意という理由があったのだから正当なのだ。つまり「宗男」であれ「真紀子」であれ「雅子」であれ、非難や悪意がないのに非難や悪意があるような呼び捨てにすることは、私にはためらわれるということだ。このことを実感するために、宗男氏や真紀子氏や雅子氏が自分が管理する掲示板に書き込みをしてきた場合を想定しよう。そのとき私は「宗男さん」「真紀子さん」と呼ぶだろう。同じく「雅子さん」以外の呼び方は存在しない。

ただし改めて思い起こせば、日誌の中で私は「皇太子妃」としか書いていなかったような気もする。「雅子」とは表記しないが、「雅子さん」とも表記していないのだ。これもまあ文脈がそうさせたと考えるべきか。少なくとも、雅子氏を真紀子氏や宗男氏とは別格の人間として扱ったおぼえはない。しかしもう一歩自分を顧みるに、いま文脈のせいにしたけれど、実際は「雅子」と書く文脈自体がなかったというのが真実ではなかろうか。「雅子さん」と書く文脈もなかった。「皇太子妃」と書く文脈だけがあった。

そもそも「雅子」と呼ぶような文脈が私の日誌に存在しなかった。こっちのほうがもっとゆゆしき問題だろうか? う〜む。

それにしても、「愛子さまが」とにこやかに呼ばねばならないテレビや新聞の人は、今やもう馬鹿だとか、けしからんというより、ああこの人たち、稼ぐため食うために必死なんだな、こりゃもう災難だ、かわいそうな人たちでもあるんだと思うことにしている。マクドナルドの対子供接客マニュアルも同じことかもしれないが。

話がだんだんずれてきた。これで終わってもよさそうだが、もう一歩。

今述べた「天皇感情」、すなわちテレビなどで誰かが笑顔で「愛子さまが」と話すときの、すわりの悪さ・居心地の悪さ・気持ちの悪さは、絶対に無視したくない。というか、私はそれがいつまでも心に引っ掛かって無視などできやしない。しかしその一方で私は、たとえば結婚式に出席しようとしたら絶対的に黒い礼服や白いネクタイを付けないわけにはいかないが、そのときは同じような「すわりの悪さ」を経験したはずだ。「御両家」の披露宴で「新郎○○さんは××大学を優秀な成績で卒業され、わが社における勤務は真面目で上司の信頼も厚く」とか「まさに美男美女!」といったスピーチを耳にするときの「すわりの悪さ」も嫌というほど味わってきた。しかし、だからといってそれらを完全に拒絶して、黒いネクタイをしてみたり仲人の挨拶のときは必ず席を立つといった意思表示や反対運動をしてきたわけではない。それを思うと、結婚式の表現の封建制を拒否できない私が、「愛子さま」という表現の封建制だけは絶対に拒否するというのは、単に「愛子さま」という表現を強いられる立場に立っていないだけであり、安全な位置から勇ましく天皇報道批判をしているだけかもしれないことを、忘れてはいけない。

P.S.
ところで歌手の「aiko」氏も名字がない! 



●じゃあ天皇感情って何さ (2)

「天皇感情」ということで、もうひとつ。

『天皇新論』の巻頭では、鈴木邦男氏が若松孝二氏を迎える形で対談しており、その中で両者は次のような話をする。

鈴木 天皇陛下のためにと言ってた同じ先生が、八月十五日を境に、突然ぱっと、今度は天皇なんか、と言い出して、それで不信感をもったという話を聞きますが。そういうことはなかったんですか。
若松 そんなのね、みんなカッコつけてただけだよ。
 (略)
若松 だから、よくさ、米軍が来ても、ガムやチョコレートを絶対拾わなかったなんて、かっこいいこと言うやつがいるけれども、チョコレートは甘かったぜ。
 (略)
鈴木 天皇に対する、反感というのはどこで生まれたんでしょうかねえ。
若松 その後(戦後)、みんなやっぱりいろんな運動の中で、そういうこと言わないとカッコ悪いと思ってたんじゃないですか。

私もまた、戦後かなり経ってからではあるが、人並みに「天皇反対」を口にしたことはあり、その根っこには「そうしないとカッコ悪い」と思っていたフシがある。そして今なおそういうフシがある。何なのだろう、これは。反「天皇制」というより、「反天皇」制とでも呼ぶべきか。

ともあれ、これもまた私にずっとこびりつく「天皇感情」の一つだ。ということは、「天皇感情」はリアルなものと感じられるからといって、真正な感情であるとは限らないことになる。だったら、そんな「天皇感情」などきっぱり捨てて、客観的に学術的に天皇を分析すべきか? そうではない。

改めて強調するが、天皇という事象に随伴する個人の「天皇感情」と、論敵に向けられた「感情論」とは別物であり、しかも「天皇感情」を軽んじないことこそが、左右分断の「感情論」に陥らない手立てとなる。もちろん「天皇感情」などというものは、天皇への親しみであれ憎しみであれ、自分ではにわかに調節するのが難しい代物ではあろう。しかし我々に語る価値のあるものがあるとしたら、やはりそうした「天皇感情」だけなのだ。鈴木・若松対談は、そのようなことを確信させた。二人は自らの「天皇感情」を信じ込んで完全に身を委ねるわけではないけれど、それを捨て去ったり、恥じ入ったりはせず、ただ素直に見つめている。

鈴木 監督が小学生のときは、とにかく天皇がいるということが当たり前の世の中だったんでしょ。それに対して疑問に思ったりしたことはなかったんですか?
若松 疑問も何も、兵隊が出征するときに、みんな日の丸を振って天皇陛下ばんざーい、ってやるわけじゃないですか。小学生が全員並ばされて、勝ってくるぞと勇ましくってね。天皇というのは、とにかく偉い人だと思ってました。
鈴木 僕は中学校まで日本に天皇がいることを知らなかったんですよ。田舎だから政治問題もわからないし。その頃秋田県にいたから、なおさらでしょうけど。高校にはいって、どうも天皇がいるらしいと。高校はプロテスタントの学校だったから、なんか左翼的な先生が多くて、「天皇なんかいらねえ」と言ってましたけど。

鈴木 昔は、天皇制打倒って言ったら、なんとしても天皇の命を守るため、日本を守らなくちゃいけないと、そんあこと言うやつは殺さなくちゃいけないと、思ってましたよ。左翼は殺さなくちゃいけないと。

若松 天皇制にしても、天皇の戦争責任についても、学校でもうちょっときちんと教えないとさ。なぜ戦争になったのか、誰が起こしたのか、そういうことを全然教えられないまま高校ぐらいになって意識が芽生えてきたところで、周囲の影響なんかも受けて、天皇はだめだ、いやいいんだ、という考え方が形成されるんじゃないの。鈴木さんが天皇がいい、って思うのも人との出会いから影響受けたんでしょ。当然、あいつのためにみんな死んでいったんだぞと教わったやつとの違いが出てくる。
鈴木 共産党とか、知識階級の人たち、左翼の人たちが天皇制打倒と言っていたから、なおさらインテリぶった人たちが、「どうしてこんな世襲制のものが残っているんだ」と言うわけですよ。
若松 わけわかんなくて天皇制反対を叫んでいる人もいるんじゃないですか。

若松 戦後間もなくだったら、もしかしたら天皇を暗殺する人がいたかもわからない。戦争に行ってひどい目に遭って、おれたちは天皇の名の下に行かされたのに、その後、国は何の面倒もみてくれないじゃないかと。あの年代は、今八十歳ぐらいか。それくらいの世代だったら、そういう思いがあったかもしれない。もっとあとの世代は、天皇に恨みも何にもないしさ。

総じて緩め、温めの会話である。天皇言説にナイーブな人にはガサツにも響くだろう。しかし、鈴木氏も若松氏も、天皇というものをめぐっては、そうとう熾烈な体験に晒されてきたことが窺える。そのなかで天皇への個人的感情は長く寝かされ、じっくり醸成されてきた。その個人史や感情を天皇を認識し論じる核にしている。

天皇を私的な感情や生活を通して語ること。そこが脱け落ちた天皇論なら、私には興味が持てない。



●天皇の過去と現在

「新しい歴史教科書をつくる会」はよく「歴史修正主義者」に位置づけられる。珍しい見方ではない。島田雅彦も『天皇新論』のインタビューでそう述べる。そして、インタビューのすぐあとに「歴史修正主義者」の用語解説が出てくる(これが同誌の気が利くところ)。

歴史修正主義者
過去を現在にとって意味のあるものとして捉え、共有し、伝達することが歴史の中心課題だとする歴史観に基づく人々。歴史は客観的事実としてすでに確定しており、歴史家の役割は、それをありのままに記述するという、実証主義的な歴史観に対立するもの。一九八〇年代のドイツでのナチズムの評価や九〇年代の日本での従軍慰安婦、教科書問題をめぐる論争において、一方の当事者となった。

そうか、ここには「現在から過去に向かう視線」があるのだ。そこから、現在のためなら過去はちょっとぐらい書き換えてもかまわんだろう、てな無謀も生じかねない。「新しい歴史教科書を作る会」がそうかどうかは知らないが。

しかしそうなると、これとちょうど対照の位置にも「誰かいるぞ」と気付かねばならない。つまり「過去から現在に向かう視線」だ。意地悪く言えば、過去からしか現在を見ないという立場だ。過去のためなら現在はちょっとぐらい書き換えてもかまわんだろうと。もしここで「左翼による天皇批判がしばしばこの立場である」と断じたら、左翼は怒るだろうか。「左翼はそうではない」あるいは「少なくとも俺はそうではない」と。それに反論する余地はない。しかし、どの立場かは知らないが「過去のために現在をないがしろにする」という無謀が、「現在のために過去をないがしろにする」という無謀と同程度に存在することは確かだと思われる。『天皇新論』が試みている腑分けも、そうした無謀(それが皮か肉か骨かはさておき)を退けることに通じるだろう。

過去を現在からしか見ない視線。現在を過去からしか見ない視線。どちらも不完全だ。欠かしてはならないのは「現在を現在から見つめる視線」だ。これはどういう視線か。それが、天皇に対する個人的な現在進行中の視線、すなわち「天皇感情」だ。

しかし、こうなるとどうしても浮かび上がってくるのは、天皇の戦争責任を追及することもまた「現在を過去からしか見ない視線」であるのか?という問いだ。私は実はよくわからない。それは、あの戦争が私にとって過去なのか現在なのかが判断しかねるということに由来する。はっきりしているのは、たとえば白村江の戦いや壬申の乱は過去だということ。そして、この戦争もあと数十年すればいよいよ過去になってしまうということだ。

「まとりた」自身はこのことをどう考えるのだろう。まっさきに天皇の戦争責任こそ追及すべきであり、天皇制もただちに廃止するのが当然だといった鮮明な意見は、今回の誌面には載っていない。

昨年の天皇誕生日に明仁氏が、皇室は朝鮮系でもあるという趣旨の発言をしたことが注目されているらしい。『天皇新論』の「結語」で松本麻子編集長はこれを取り上げ、ワールドカップ開催とも合わせ《日本と韓国の関係を天皇制にからめて考えてみるいい機会だ》と述べた上で、《ただし、「天皇のアジアの人々への責任」という一点に落とし込むような、自分たちの責任をないがしろにする議論だけはなしにしたい》と呟く。さらに《もし差別をなくしたいというのなら、「天皇批判」の前に、自分たちに何ができるのか、さらに言えば戦争を二度と起こさないために何ができるのかを考えたほうが道は開けるのではないか》と問いかける。

『天皇新論』は、旧来の天皇論の一翼を担ってきたある立場に対する「議論の申し込み」だと思う。しかし、申し込み先であった立場の論者だけが、この誌には登場してこないようにみえる。それは「まとりた」が同席を求めなかったのではなく、その立場の論者自身が同席を拒んだということも、可能性としてはある。

しかし、その立場の論者はこう感じるのかもしれない。「こんなテーブルに着くこと自体が妥協なのだ」と。その気持ちは分からないでもない。なぜなら、その立場の言論に対して、そうでない立場の人はしばしば「それほど目くじらを立てるなよ」と言いがちだからだ。でもその立場の人にしたら「目くじらを立てなければ始まらない問題なのだ」という認識があるのだろう。さらに、そうでない立場の人が「なにごとも目くじらを立てるのはダメ」という原則ならば、「目くじらを立てる相手」に対して自らが目くじらを立てない余裕を持ってもいいではないかと、私はちょっと思う。

いずれにしても、天皇論をたとえば《「天皇のアジアの人々への責任」という一点に落とし込むような》立場の論者と、直接対面する議論のテーブルを、次の「まとりた」にはぜひ期待したい。



●天皇の現在と未来

島田雅彦氏のインタビューは説得力があった。独創的な指摘ということもないのだろうが、天皇制の問題の見落としがちなポイントを鋭く抉り、きれいに整理してくれる。

そのインタビューのタイトルは、《天皇は「護憲の王」であらねばならない》だ。

憲法サイドから考えてみると、天皇をはじめ、首相も我々国民も、憲法にしばられているべきなんですよ。現天皇も即位の折に、憲法を遵守する、立憲君主としての宣言をし直しました。それをちょっと踏み込んで考えるならば、天皇は「護憲の王」なんです。そうあらねばならない。

島田氏はさらに踏み込んで、天皇への微妙な期待すら滲ませる。

このまま政治自体が迷走を続ける、つまり、政治に空白状態の中から、石原慎太郎や小泉純一郎のようなその場の瞬間最大風速何十メートルというような国民の支持に持ち上げられた、要するにポピリュズムの政治だけが進行していくという状態が続くと、いわゆる衆愚政治の方向に進んでしまいますよね。/それに拮抗しうるとまでは言いませんが、それに対する少なくとも抑止というか、憲法を踏み越えないという大原則に立った存在が必要ではないかと思います。ただ本当は、そういう役目を天皇に期待するのではなく、市民レベルの理性によって実現させなければいけないはずです。

これと共通する見解は、若松孝二氏と鈴木邦男氏も示している。

若松 今の時代なんか、こういうこと言うと批判されるかもしれないけど、天皇には政治にもうちょっと関わってほしいと思うくらいですよ。
鈴木 ほお、それはどうして。
若松 「おい小泉それはやめとけ」とか、「これはあかんぞ」「消費税は三パーセントにしておきなさい」とか。
鈴木 それはすごいですねえ。
若松 そういう存在がなかったら、バカな政治家たちがやりたい放題するだけでしょ。

鈴木 今だったら、議会で自衛隊を出そうと決めるというときに、天皇に独裁的な力を与えようというのが、いいのかどうか問題ですよね。コメントや発言をしてもらうのは、僕も賛成なんですけど。じゃ、決まったものを覆す独裁的な力を与えるか、ま、それも悪くないかと思いますが。国論が分裂しているときに、天皇陛下の裁断を仰ぐというのは例外的にはあってもいいかな、と僕は思う。

鈴木 アフガンの場合、いろんな勢力のどこにも属さない、ニュートラルな存在がいるのはいいことなんじゃないですかね。安定のためには。

これでふと思い出した。いつだったかタイで政治的な混乱が極まった折りにプミポン国王が表に出てきた。そんなニュースがテレビで流れた。なんか妙なものを見ている感じだった。しかしそのおかげでたしか混乱は収拾に向かったんじゃなかったか。さて、そのタイにはその後旅行で訪れたが、ちょうどその国王の誕生日が近いとかでバンコクの大通りはたいへんな賑わいだった。でもそれはさほど意外でもなかった。それよりも、首都近郊に住む20歳そこそこの人のアパートに招かれるチャンスがあったときに、狭い部屋の壁に神棚みたいなものが備え付けられ、国王の写真がそこに飾られているの見たときは、けっこうショックだった。かなり昔私の家でも祖父母あたりが天皇の写真を部屋に掲げていたが、あれと同じではないか。おまけにその住人は「国王の棚にはあまり足を向けないようにしている」とまで言う。これがタイの若者に一般的かどうかは知らないが、少なくとも今の日本では若者どころか中年者だって天皇の写真などめったに飾らないし、足を向けようがどうしようが私は気にしない。北枕も気にしない。

閑話休題。

『天皇新論』は、結果としてかもしれないが、天皇の政治的役割に関する議論をあるていど積極的に打ち出したとも言える。それがきっかけで私も少し考えた。


たとえば目の前の戦争や殺戮を本当に止めることができる機関や存在が、もはや王様しかありえないという事態があったとき、その王様パワーをいったん重んじてみることを避ける理由はないと思う。それに対して「天皇はそのような存在であるはずがない」「天皇はそのような存在であってはならない」とだけ言うのは、下手をすると「そんな議論はやめろ」という主張に聞こえる。つまり「我々は議論はしたくない」「天皇反対だけがしたい」「天皇賛成だけがしたい」と。


こうした天皇の役割を否定しないとしても、戦争責任の問題は別個に解決を図らねばならないだろう。また、皇室を国家から独立させて民間団体や宗教団体と同等に扱う方向は、天皇が活躍できる前提として、むしろ有効なのではないか。

しかしながら。こうした議論は結局、ここまでずっと拘ってきた「天皇感情」を語ることとはまた別の作業だ。さきほど「過去を現在からしか見ない視線」と「現在を過去からしか見ない視線」を批判した。それに倣えば、天皇の政治的役割を期待する議論は「現在を未来からしか見ない視線」または「未来を現在からしか見ない視線」と言っていい。この作業が無駄だとは思わない。しかし私が見つめたいのは、未来の天皇像ではなく、やはり現在の私の天皇像=「天皇感情」だ。

ただ、自らの生き甲斐を天皇の存在とともに見い出したいような人にとっては、混乱や独裁に対抗する役割を天皇が担う場面に遭遇できれば、それは本望というものかもしれない。そういう点でなら、この議論も「天皇感情」の範疇だ。



●「天皇感情」を歌え。

ここからの結論は、曖昧さがいっそう加速する。注意。

島田雅彦氏の著書名に「語らず、歌え」という魅力的なフレーズがある。今回あれこれ考えてきたことも「天皇を論じず、歌え」というところに行き着く。天皇論が感情論に陥らないためには、天皇を歌うことなのだ。「天皇感情」を歌うことなのだ。現在進行中の自らの旋律に従って。音がはずれてもいい。音をはずしてもいい。あるいは、こぶしを回す、ラップする。論破する相手への感情ではない。右や左のコード進行ではない。「今」の「私」の「天皇感情」をそのまま歌おう。

1月末のこと。オウム真理教を扱ったドキュメンタリー映画『A』の森達也監督が、ロフトプラスワンで鈴木邦男氏と対談するというので、見物に行った。このイベントは実は「まとりた」編集部の企画だった。松本編集長が進行役で、同じ発行元から著書を出したコリーヌ・ブレ氏(元リベラシオン記者)も加わっていた。

この日は、公開目前だった『A2』(『A』に続く作品)のさわりが紹介されたこともあって、特に後半は森氏が主役だったのだが、同時に注目すべきは、壇上で森氏のわきに座りながら、店内で注文したビーフンを澄ました表情で延々食べ続けていた鈴木邦男氏だ! このことは『まとりた天皇新論』の編集後記でも取り上げられている(ところがなんと「ビーフン」を「焼きそば」と記述しているではないか! これは歴史の捩じ曲げだ。糾弾せよ)。

私が鈴木邦男氏を見たのはこれで3回目(すべてロフトプラスワン)か。概してああいうトボけた平和なノリばかりであって、ガチンコの論争を期待して行くとスカタンを食らわされる(他の場所ではどうか知らないが)。まあしかし、鈴木氏の希有なところはこういう面なのだろうし、それはもしかしたら「天皇を歌う」行為なのだ。

『天皇新論』の鈴木・若松対談でもこれに似たノリが伝わってきた。どうみても左右両翼の緻密な理論に基づいた天皇議論ではなく、いわば酔っぱらいの放談を思わせる。しかしその放談は、少なくとも天皇制に賛成か反対かの二項対立ではなく、天皇崇拝や天皇糾弾でもなく、「論敵を互いに糾弾してしまう」旧来の天皇論の宿命とも無縁だった。つまり、彼らは天皇を歌っていたのかもしれない。

・・・しかし街宣車は実際によく「歌う」なあ。でかい音量で。あれも歌か。ヘビメタ系の。まあ、歌にも好き嫌いはあるということで・・・

・・・「日本は天皇制が中心にある絶対ダメな国」という歌は、「日本は天皇を中心とした神の国」という歌と、なんだかメロディーが似ていないか・・・

天皇を伝家の宝刀にしてはいけない(殿下の放蕩ならよし)。右の人は天皇という刀を飾って触らせないのでなく、左の人は埋めて掘り返させないのでなく、まずは刀を脱け。そしてどんどん議論しよう。どんどん歌おう。天皇も君が代も歌わねば死ぬ。しかし歌わねば、神聖な化石となって永遠に生きてしまうだろう。


Junky
2002.3.8

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フォルダ「国家・戦争・差別」 著作=Junky@迷宮旅行社http://www.mayQ.net