永井荷風『墨東綺譚』
 ――ついはりきってしまうおのれへのはじらいというようなものはわたしにあるか

    

永井荷風『墨東綺譚』。厭世。その一言に尽きる。活動写真に新聞雑誌、新刊本すら読む習慣がないという作家の「わたくし」。だから電車の中にも古い漢文の書物を携えたりする。とりわけラジオが大嫌い。毎日わざわざ散歩に出るのは、隣の家から漏れてくるラジオの音を避けたいがためでもある。そのことが執拗に説明される。今でいえば、テレビは見ない、携帯やネットなど絶対しない人ということになろうか。

場末への郷愁。浅草から隅田川を渡った繁華街のいちばん外れ。狭い路地そのまた路地のどぶ川わきに、蒸し暑く年中蚊が飛んでくるような私娼の宿がある。にわか雨に降られて「わたくし」の傘に飛び込んできたお雪の住まいだ。小説全体がしっとり雨に濡れている。

世間的な価値観や関心事など、ことごとく根っこからくだらない。そう言ってしまいたいときは、私にも、格好だけでなく本音としてある。ただそのときは、世間の代わりに耽るべき対象を持っているかどうかが問われるだろう。かといって、そうした態度は望んで、狙いすまして身に付くものでもない。永井荷風は、どうしてもそうならざるを得ないようにして耽美に落ち、厭世に流れていったように見える。作家としてすら忘れ去られた長い期間があったという。もとより「謹厳な人達からは年少の頃から見限られた身である」との自覚を作中に述べている。その経緯は特に語られないが、少なくともそうした覚悟による世捨てではあるのだ。

その「わたくし」は、東京や銀座が無粋になっていくのをじっと眺めている。そしてしだいに納得されてくるのだが、「わたくし」が無粋だと感じているのは、たとえば食堂の注文にも慌ただしく大声をあげ列車の席を奪うにも必死の形相になるような態度である。他人に負けまいとむやみに競ったり、かと思えば孤立を恐れてむやみに群れたりする人間の習性である。そんな有り様に「わたくし」は何の根拠も共感も見いだせず、ただ唾棄する。

何事をなすにも訓練が必要である。彼等はわれわれの如く徒歩して通学した者とはちがって、小学校へ通う時から雑沓する電車に飛乗り、雑沓する百貨店や活動小屋の階段を上下して先を争うことに能く馴らされている。自分の名を売るためには、自ら進んで学級の生徒を代表し、時の大臣や顕官に手紙を送る事を少しも恐れていない。自分から子供は無邪気だから何をしてもよい、何をしても咎められる理由はないものと解釈している。こういう子供が成長すれば人より先に学位を得んとし、人より先に職を求めんとし、人より先に富をつくろうとする。此努力が彼等の一生で、其外には何物もない》。

わたくしは元来その習癖よりして党を結び群れをなし、其威を借りて事をなすことを欲しない。むしれこれを怯となして排けている。治国の事はこれを避けて論外に措く。わたくしは芸林に遊ぶものの往々社を結び党を立てて、己に与するを揚げ与せざるを抑えようとするものを見て、之を怯となし、陋となすのである》。

永井荷風の隠棲は、浮世から遊離した文士っぽい放蕩とは違うのかもしれない。現実社会をむしろ見通し、しかも現実社会に(たぶん)かなり苦しめられてきた結実としてあるのだと思えてくる。古き良き物、古き良き時代を懐かしむ嗜好も見られるが、それとて単に好事家であることの描写ではないのだ。

小説の冒頭、街中を無為にぶらつく「わたくし」は巡査に呼び止められる。さてどう出るかなと思うと、たしかに少しも協力的ではないが、ことさら喧嘩もしない。印象的だった。そうした諦めの気分は、実はこの小説の底をずっと流れている。読み進めるにつれてそう感じられてくる。そうして、ふと巻末の年譜をたどってみて、驚く。『墨東綺譚』が新聞連載されたのは昭和十二年。世間も新聞も戦争に向かって大張り切りの時節(今もそうかな)ではないか。だがそうした時事くささ(爺くささ?)は、「わたくし」の散歩の足取りには映じられない。

それにしても、お雪さんはその後どうなったのだろう。「わたくし」との関係は最初からそうなる運命だったようにして中断する。しかし、唐突に断たれたのは、本当は小説の方なのである。ぷっつり途切れることのせつなさ。だいたい『墨東綺譚』は構成が奇妙ではないか。「わたくし」の実際の日常に起こっている出来事は、同時期に「わたくし」が別に書いている小説の筋書きによってしばしば介入される。だが、その小説の行方もいつのまにか捨て置かれている。しかも、そうした「わたくし」をめぐる一連の出来事がすっかり幕を閉じた後になって、そこに至った経緯ともいうべき過去の日々が、淡々と締まりなく綴られていく。

若くしてアメリカとフランスに遊学したという永井荷風だが、『墨東綺譚』に出てくる世界は、欧米かぶれの雰囲気とは正反対。陳腐な言い方だが、そこには極めて日本的な情緒が息づいている。季節も、雨のころから始まって冬の寒さが訪れるまでの細やかな移り変わりを描き込んである。とりわけ夏の雨、夏の蒸し暑さ。それを苛立ちではなく、やりきれなさによって静かに受け止める。四季と雨の国、私はそういう国に生きている、なんてことを言いたくなる。

たとえば「フランスの感受性の伝統」といったものがあったとして、それはフランスにおいてはたぶん世紀を超えて意識して継承されてきたのではないか。それに比較すれば、「日本の感受性の伝統」といったものは、やはり時代の変遷のなかで見る影もなく消えうせている。小説を書いている時点ですでに永井荷風はそれを嘆いているようだが、今読めば、いっそうの喪失感を覚えないわけにはいかない。

永井荷風。写真でよく見る、ねじくれたような超然としたような顔つき。帽子とネクタイで正装し傘と鞄を手に飄々と歩く姿。偏屈で他人を信じず、全財産をその鞄に入れて持ち歩いたという。老いさらばえて独り、血を吐いてひっそり死んだという。そういうことがなぜかとても美しく思える感覚、そのみなもとに、永井荷風の文章をもっと辿りつつ、ゆっくり触れたいと思う。

これで終わったほうがよさそうなのだが、余談。

この小説、ここぞという場面になると俳句や漢詩が現れてその情に任せるようなところがある。お雪との別離がいよいよはっきりした時も、最後の述懐をどう決めるだろうと期待していると、荷風は、「筆の行くまま、詩だか散文だか訳のわからぬもの」を記しておしまいにする。その叙情その耽溺、わたしにふとよみがえったのは、トレンディドラマという名称がまだ生きていた昔、石田純一がなんのドラマだったかクライマックスの回でヒロインが死んでいくのを前にただ単純素朴にわあと声をあげて泣いた、実につまらない記憶だった。いやそれが良くないと言うのではない。そのどこか半端な切り上げ方は、『墨東綺譚』の、悲哀の形すら収まらぬ定まらぬもどかしさを、いっそう色濃くしたようで・・・。



*『墨東綺譚』(新潮文庫)の「墨」の字は、実際は旧字に「さんずいへん」が付く。
*写真は、http://www.nihongakuen.ed.jp/senpai/senpai.htmにあった。

Junky
2002.5.11

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