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▼日誌
    路地に迷う自転車のごとく

迷宮旅行社・目次

これ以後


2002.5.31 -- ネタがないときのネタ --

●24時間営業のオリジン弁当、いつもの近所の店に行ったら、なんと電気が消えている。リニューアルのため31日午後から一月ほど休業するとの貼り紙。まさかワールドカップに合わせたか?●食い物の話なら、渋谷センター街で早朝から深夜までいつも湯気をたてているブタまん屋(1個200円)は至高の味だ。昨夜も食す。その足で井の頭線のエレベーターまで来たところ、タイラーメンの屋台というのが出ている。これは珍しい。さっそく座って注文。主は若いお兄さん。「パクチー入れますか」「入れてください」。どぎつくない味で、満足。しかし650円はちょいと高いか。それにしてもこの屋台、1年も前からここにあったというのに、全然知らなかった。●かつて仕事でルーチン的に長距離移動する車のなか、趣味や関心の一致しない者同士が何の話で場をつなぐかというと、「あの店のあれうまい」「ああ食べた」というたぐいの話だったのを思い出した。●小川軒というお菓子屋。洋酒レーズン入りのクリームをはさんだクッキーが絶品。先日お土産に持っていった際に、家用にも一箱買ったのだった。こんどはお土産で自分がもらいたい一品。なので、皆さま、参考に。●そうそう、深夜ときどきうどんを食べに行くチェーン店の(雇われ)店主は、翌日昼過ぎまでの15時間勤務で365日休みなしという。なんでそんなに頑張るのかを聞くと、「借金だらけだから」と笑う。そのまま少し立ち入った話になってわかったこと。友人がゲーム喫茶を始めたときに借金3千5百万円の連帯保証人になったが、その友人が行方をくらましてしまったので、他人の借金がまるごと自分に覆いかぶさってきたのだという。マイホーム用に貯めていた2千万円などを返済に充て、一段落はしたらしいが、借り換え借り換えでやりくりしてきたものが未だに残っているという。壮絶な人生。というか、そんなバカバカしい話が本当にあるのか! というか、ここのうどんはまあうまい。


2002.5.25 -- ねえねえ、きのう『ベニスに死す』見た?  --

●いつ話題にしてもいいからいちいち話題にしない古典映画も、テレビでやってた次の日くらいなら話題にできる。しかし、高校の教室でもないのに、こんな会話が成り立つ不思議。引きこもって見たテレビ映画が、みんなそろって見たかのよう。しかも起き抜けのぼそっとした呟きもこのように誰かにすぐ届く。インターネット日記のありがたさ。ネット上には映画の資料もころがってるから、間違いコメントをする危険もない。で、「少年の、この世のものとは思えぬ美しさ」。


2002.5.24 -- 「そんなしょげたり逆上したりするのはダメ!」と浅田に諌められた、まさにその場で・・・ --

●このところ無闇に忙しかったのだが、週末には2週連続してイベントに出かけた。5月11日がその一つ。これは今まとめ中。

●もうひとつは5月18日、『重力』絡みのシンポジウム。これまた唖然とするほかないひととき。鎌田哲哉氏も大杉重男氏も、ぜんぜん文学的でも文化的でもない部分で、面白すぎ。なにかにつけて至極まっとうな見解を述べてああたしかに尊敬に値すると思わせる浅田彰氏と福田和也氏が、そういう点でいけば、まっとうすぎて凡なりと思えたほどだ。


2002.5.18 -- 終電と始発のあいだ --

●仕事がやっと一段落。腹がへったので仕事場を出て外へ。どうせ何もないだろうと半ば諦めていたところが、なんとインドカレー屋。こんな時間に開いているとは。ベジタブルカレーに今そこで焼いた熱々のナン。満足。●で、電車が走り出すまでネットサーフィン。


2002.5.17 -- 阿呆ダンス --

●金曜終電まぎわ。始発駅から満員。なかなか発車せず。座席にぎっしり並んだ人々は携帯のメールを眺めるくらいしかできない。吊り革につかまった私のほうは、そういう人々を眺めるくらいしかできない。それにしてもみんな同じ格好、同じ位置で携帯を手にしている。ふと気がつくと一人だけ聖徳大使や源頼朝が手にしているあれ(名称不明)を手にしている。なんてことがあったらおもしろいが、そんなことはない。●二つ隣で年収目標ロマンを熱く語っていた男(自称29歳・外資系に敵愾心)が、連れの女が先に降りたら、もう黙っている。車内みんなで聞いていたのに。

監督の独裁とはなにより人事に現れるのだということを思い知る。23人を選んだコメントはなんだか過剰に理屈っぽく聞こえたが、それがフランス的、フランス語翻訳文体的ということなのだろうか。●ワールド杯も一試合くらい国民主権の民主主義でやってみたらどうだ。かわりに日本国の糞役人の人事はもっと独裁でやってくれ。


2002.5.11 -- 勝手に編集者 --

内田樹氏が著書を出すのは今年度でおしまいだという。しかしウェブサイトはこれまで通りらしいので一安心。ここ数日も実に興味深い考察が続いている。以下、勝手ながらそのまま転載。

なぜ「網羅的知識を持とうと望む必要はない」こと、「知的流行を追う必要 はない」ことを、きっぱりと断言し、「あなた自身の極私的知的課題を、深 く、熱く、全身をあげて、執拗に追い求め、その深みからあなたにだけ見 え、あなたにだけ記述できる世界の眺望を語ること、それこそが、知性の王 道である」と言い切る学者がいなかったのであろう。(5月1日の日記より)

よく考えて見れば分かることだが、私が「日本人」であり、「かつての植民 地主義的侵略の加害者」であると「みなしている」のは、私が知的操作を経 て獲得した自己意識である。

無反省的、非知性的な状態にとどまる限り、私が生まれる前に、私ではない 人間が犯した罪過の責任を私が負わなければならないという発想は出てこな い。

私がいまの等身大の自分を想像的に離脱して、「日本国民」という歴史的に も地理的にも、はるかに私一身を超える想像的な共同体の成員としての自己 意識を獲得することによってはじめて、私は「朝鮮という想像的な共同体」 の成員である尹さんを「被害者」とみなし、おのれを「加害者」としてみな すことのできる論理的準位に達するのである。

ならば、そこからさらに想像の翼を拡げれば、「人間たち」というさらに包 括的な共同体の成員としての自己意識も獲得できるはずだと私は思う。

その論理的準位において、同じ問題を眺めたら、違う相が見えてくるのでは ないか、と私は言っているのである。

繰り返し言うが、私は国民国家という幻想の準位では、「加害者」は「被害 者」に償いをしなければならないと思っている。

それでもやはり、「国民」という意識は、脱自的想像力によって知的に獲得 された「自己意識」に他ならないのであり、パセティックではない語法で、 この自己意識の成り立ちについて語ることが、私たちの優先的な課題である ように私には思われるのである。(5月4日の日記より)

70年中頃のマルクス主義末期の風景というのは、既成左翼が完全に体制の 補完物として取り込まれてしまう一方で、「新左翼」が、一人一派的にまで どんどん理念的に先鋭化し細分化し、現体制をどれだけ激しいことばで「全 否定」できるか、「価値」とされていることをどれだけ「冷嘲」できるかを 競い合う、「ツバのはきっこ」というか「しかめっ面の競い合い」のような ことにみんなが熱中しだした、というものであった。

どこでどんなマルクス主義の思想や運動が破綻しても、どのマルクス主義者 も「あんなものは似非マルクス主義だ」と歯牙にもかけず、ほかのマルクス 主義者の歴史的失敗についてマルクス主義者の誰一人として「責任」をとろ うとしなくなった時代である。

「イズム」の名において、他の「イスト」がなしたこと、発言したことにつ いて、「イスト」たちが連帯責任を引き受けたり、その意図するところを代 弁したりすることを自分の仕事だと思わなくなったとき、つまり当事者意識 を失ったときに「イズム」は終わる。

マルクス主義はたしかにそういうふうに終わった。

そのまえに、軍国主義もそういうふうに終わった。

『ザ・フェミニズム』を読んで、フェミニズムもそういうふうに終わるのだ なと思った。(5月8日の日記より)

●さて内田氏は、大瀧詠一の仕事ペースにあこがれているようだ。それはちょっと永井荷風に通じるところあり。


2002.5.6 -- 善悪、正邪、白黒つかず --

●『千と千尋の神隠し』まだやってたのか! で、きょう見てきた。まだ行ってなかったのか!●私たちが固有に持つ感受性の源というものは、なぜだかずっと見逃され、閉ざされ、抽出されないままできた。それが、このめくるめく幻想の連鎖によって、いきなり息をふきかえし、鮮やかに動きはじめる。私が生まれてこのかた所属してきた風土や習俗をどういう名で呼ぶかはともかく、この物語はまさにそれと同じ風土や習俗に所属していると確信できる。神話や伝説、ファンタジーといえば、たいてい横文字の舞台設定ばかり思い浮かぶが、それはいくらなんでもいびつなことだったのだ。●去年の夏、ひょっとこ面に気持ちが妙に揺さぶられたことが思い出される。

●やっぱり新しい日付を上に重ねる方式に戻します。



2002.5.5 -- 希薄かつ濃密いかんともしがたき空気 --

●NHK深夜のBSに平田オリザが出ていた。今をときめく劇作家・演出家だろうに、会社で帳簿を付けてるおじさんの格好とも見える。語り口も、飾らず気負わず。言い換えれば、演劇には欠かせないと思われた誇張やはったりといった幻惑の要素にまったく無縁の人なのだとも言える。そうした実直、地味のムードで、「青年団」の独自性がどのような経緯で成し遂げられたかが語られ、こちらも自然にのめりこんでいく。●そしたら、そのあとなんと芝居まで一本まるまる見せてくれるという贅沢さ。『冒険王』という作品の初演(1996年・アゴラ劇場)の記録だ。これまで青年団の舞台は一回しか見ていないせいか、これがもう、今さらなんだろうが新鮮で新鮮で、面白くて面白くて、しかもどうしてこんなに面白いのか不思議で不思議で、知りたくて知りたくて、とはいえ今そんなこと考えるには一秒だって惜しくて、終演までどっぷり無心に楽しんでしまった。●イスタンブールのドミトリー(安宿の大部屋)。あてを見失いつつある旅人たちがたむろしている。舞台は二段ベッドが占領し、役者も実際にそこでごろごろ、出たり入ったり。そんななか、試すような会話があれこれ繰り出されるうちに、一様な群れの印象でしかなかった集団が、しだいしだいに個別の事情・個別の人格として一人ずつ立ち現れてくる。誰の身にも心にも、時々刻々はらはらイベントは生じていくのだ。このシチュエーション、あまりに身近でリアル。●設定された年は1980年らしい。アフガイスタンでは戦乱、イランはイスラム革命直後。韓国からは光州事件の報。日本ではウォークマンが登場し、YMOがもてはやされ、山口百恵が婚約。そんな話題が彼らのおしゃべりに出てくる。それはそれで懐かしいのだが、それよりも。上演の1996年夏といえば、私はちょうど漫然旅行の最中であり、そのイスタンブールのドミトリーでのんきな日々の最期を惜しんでいた時期ではないか。いやもちろん、この芝居、単に懐かしいから面白かったのではない。●それにしても。自分が実際に旅行してドミトリーでごろごろしている立場なら、いかんともしがたき居心地の良さと同時に、当事者であるがゆえのどことない居心地の悪さをも味わっているだろうに、その場面を、かように夜中の布団でごろごろしつつ傍観だけしていればいい不在の立場、しかもテレビカメラゆえに文字通り俯瞰も注視も自在の立場というのは、これはもう居心地良すぎる永遠茫漠観光空間。


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著作=Junky@迷宮旅行社(www.mayQ.net)