From Junky あるいは What's New

これ以後
1998年9月25日
「戦争論」についてメールのやりとり。以下同文。
1998年9月23日
■秋分の夜。新宿南口タイムズスクウェアを見渡しながら歩くと、通路脇のごく小さな緑地から、虫の音。隠しスピーカ?ではないと思う。■旅の人、蔵前仁一さんと大槻ケンヂのトークを見ようとロフトプラスワンに来たものの、あまりの混雑で入るのをやめ、歌舞伎町ドトールの無煙フロアで、広告批評の爆笑問題特集を読む。太田光。友達のいなかった高校時代とか、ヴォネガットが好きとか、たけしのオールナイトニッポンに熱狂したとか、田中がイラついてキレるのをなだめる役回りであるとか。親近感。■以下同文。
1998年9月22日
■夜遅くだらだら食べて寝るとどーんと重いスペイン腹になります。つき合い酒を笑って耐えるとキリキリ痛いニッポン腹になります。■小林よしのり「戦争論」の感想付きメール届く。自分の文章を人通り(ネット)に出したのだから、知り合いの人も、知らない人も、メールをくれる人も、くれない人も、通りがかれば読む。■以下同文。
1998年9月21日
■汲々と生きている。自覚していますから黙っていてください。■以下同文。
1998年9月20日
■久々登場。仕事で海外(スペイン)へ行っていました。現実の状況がどんな悪条件であったとしても「仕事で海外」と書く誇らしさよ。■パソコンに向かうのは久しぶり。書きたいこともたまりました。でも今日は懸案だった小林よしのり「戦争論」について。以下同文。
1998年9月10日
■10日朝から18日夜までちょっと遠くへ出かけるのでアクセスできません。インターネットはどこからも近いはずなのに、結局は家の端末およびサーバの電話番号までの距離がものを言うという現実。以下同文。
1998年9月4日
■以下同文。ただし、あしたは、核の傘をお忘れなく。
1998年9月2日
■テポドン擬声語説。とは違うが、テポドンについて。■以下同文。
1998年8月27日
■中野裕之監督「サムライ・フィクション」。素晴らしい映像。素晴らしい役者。素晴らしい物語。でも、ゴダールは・・・■以下同文。
1998年8月25日
■ゴダールの「中国女」を渋谷で見た。1966年のパリ。マルクス主義による革命が今にもやってくると、けっこう大勢の人が洋の東西を問わずマジで感じていた世界同時青春期。今でいえば「デジタル革命が国家を超える」などと不覚にも熱くなるのと似ているだろうか。ともかく、そんな時代の空気と饒舌。遥か遠くから輸入されてきた毛沢東伝説を、正体や本質はさておき無闇に信奉してしまうパリのインテリヤング。「そりゃまた奇妙な」と首をひねる方は、この「毛沢東伝説」を「ゴダール伝説」に、「パリ」を「ニッポン」に変えてみると実感がわくかもしれません。もちろん、今さらながらゴダールにかぶれていないとは言えない僕もまたその列に加わるわけですが。まあしかし、映画の説明や理解は結局またもや放棄せざるをえなくとも、それが間違いなく余りにもゴダールであること、そのことを確認するためだけに、ナイトショウに並ぶのを厭わない僕たち。■ピカソもまたピカソであること以外、付け足すことはないのですが。■以下同文。
1998年8月22日
■松本人志のビデオ「VISUALBUM vol1-約束ー」面白かった。■以下同文。
1998年8月21日
■先日、蔡明亮(ツァイミンリャン)監督の映画「河」(台湾)を渋谷ユーロスペースで見た。キャストも陰鬱ムードも全般に湿気が多そうなところも、デビュー作「青春神話」に似ている。台北の街は今回はあまり映らない。ちょっと残念。でも室内シーンも捨てがたい。父親が家のテーブルで一人御飯を食べるシーンとか。こりゃ夏休みは台湾だ!と思い立ったが、あまりに急で、果たせず。代わりにこういう素晴らしくもありがたいページ(リンク)を見て我慢しよう。どうせ、気の狂った米国トマホーク攻撃に象徴されるごとく国際社会は今どこもかしこもプッツン気味で、円も安いから、海外なんて行かないほうがいいや、と負け惜しみ。■今週見た映画はもう一本。「キリコの風景」。妙な空気の粘り方は、森田芳光が絡んでいるせいと思われる。舞台は函館。加えて、きょうテレビでたまたま見て、こんなに感動深かったっけ?と驚いてしまった「幸福の黄色いハンカチ」もまた、北海道のロードムービー。こっちも行ってみたい。■以下同文。
1998年8月18日
■米国では、不法 >不倫>不適切(悪の度合い)ということになるようです。それにしても、この「不倫」という言葉の、空々しさと、それを意に介さない居直りぶりよ。じゃ、オシドリ夫婦ビル&ヒラリーに子供も付け加えて家族団欒の図が「倫」なのか。バカじゃないかアメリカ人。バカじゃないかマスコミ。「不適切」という言葉を咎める前に、「不倫」などという因習的価値観をなぜ疑わないのだ。甘いぜ。クリキントン。■以下同文。
1998年8月15日
■「言葉がいちばん大事」とニュース23終戦前夜特集の最後に野坂昭如氏は述べました。考えてみればとても過激な主張ですが、僕も結局つくづくそう思います。そして、インターネットの片隅にあるここが、堅苦しかろうとおちゃらけであろうと、言葉を発することが可能で、おまけに言葉以外に発するものは当面なさそうな場所である限り、きょうも寝てしまう前になんらかの言葉をぐずぐずしながらもこうして打ち込むわけです。ただ常に気になるのは、本当に打ち込みたかった言葉はこれなのか、今打ち込んだ言葉より、もっともっと重大な言葉、もっと決定的に打ち込むべき言葉が世界や自分の中には潜んでいるのではないか、という疑いです。まあしかし、打ち込まない言葉は、Fetchでは送れず、ブラウザにも表示されず、したがって誰も読めず、そもそも思いつかなかった言葉ですらあるかもしれません。そこで、一応つづり方の固まったこの言葉を、いわば世界で二番目に重要な言葉として、繰り返しているのです。僕は戦争に行きません。(拍手...退場)
1998年8月13日
■「お盆休みですか?」「はい」「じゃ、気長にロードして下さい、こちらの重いファイル。」■以下同文。
1998年8月10日
■梅雨もろくに明けないくせに、暦の上ではもう秋だとか。ではこの「暦の上」を使って文を作ります。「暦の上ではもう仕事終わってるんだけど」「貯金?一億円くらいか、暦の上では」「そんなこと暦の上で頼んでるんだよ!」「暦の上では遊ばないでください」「暦の上の身の上話」■意図や根拠は希薄なまま、それでもカレーやお茶に青酸でも入れてみなくてはどうにも済まないものが、その時その人には存在したのだ。漠然とした確信犯。米大使館狙いの爆弾をはっきりした動機で仕掛ける人と、どちらかに共感せねばならないとしたら、あなたはどっち。■以下同文。
1998年8月9日
■昨夜の地下鉄、終電間際。やけに浴衣姿が目立ったのは、東京湾大華火(こう書く)祭のせいだったようだ。レインボーブリッジに花火。草履に爪の塗り物。■グレゴリ青山(バックパッカー向け雑誌「旅行人」に脱力漫画を連載している人)の「ひみつのグ印観光公司」で、凝り気味の脳味噌をほぐす。■以下同文。
1998年8月5日
■梅雨と一緒で長く停滞している我がHP。時間を奪われている今の仕事が開けるのもまだ先です。そういう折りに励ましや感想のメッセージ。胸が熱くなります。細々とここだけつないでいきますので、どうぞ、またお立ち寄りください。■青酸カレー。凄惨カレー。正餐カレー(多忙時)。青酸カリー(インド風)。■以下同文。
1998年8月3日
■阿部和重「トライアングルズ」、岡崎祥久「なゆた」、角田光代「幸福な遊戯」と、若手作家の小説を続けて読む。阿部小説だけが、語り手の背後から作家本人の肉声がとうとう聞こえてこないので、僕は安心して読めない。このままでは「阿部和重のファンです」と言えそうにない。ちょっと困る。■以下同文。
1998年8月2日
■アジアごはんのトムヤムクン付きにドリアと棒々鶏冷やし中華をコンビニで買い、国際派にして都会派のブランチ。午後、漫然と渋谷を散歩。立ち読みのユリイカでしりあがり寿の漫画に共感。■先月半ばからずっと、仕事に時間と活力を奪われています。いろいろここに書きたいことがあったはずなのですが、うまく書けないような、書きたくないような、書いてどうなるというような、そんな気持ちが入り交じって躊躇しているうちに、本当にそんなことがあったのかどうか、分からなくなってしまいました。言葉とは・・・、とりわけ、ホームページに綴られる言葉とは・・・・■以下同文。
1998年7月19日
■宮崎哲弥の著「身捨つるほどの祖国はありや」。■身捨つるほどではないにせよ、今時ニッポンの象徴、およびその統合の象徴を探すならば、それはドミノの終点お台場にありや。などと感じた27時間。■以下同文。
1998年7月17日
■免許証の再交付で府中まで出向く。途中バスから眺めた多摩霊園の景観。整然と区画された広大な敷地に行儀よく並ぶ墓、墓、墓。大規模な住宅開発で出現した多摩ニュータウンがいやでも思い浮かぶ。ベッドはあっちで永眠はこっち。免許交付の待ち時間に僕は献血した。■以下同文。
1998年7月15日
■映画「萌の朱雀」(仙頭直美監督・97年のカンヌ新人監督賞)を先日やっとビデオで見た。あまりに、あまりに素晴らしい。ホウシャオシェンを、キアロスタミを、超えている。■以下同文。
1998年7月12日
■ケルト展(東京都美術館)が最終日だったので行ってみたら、いきなり入り口で行列。展示物の前もことごとく行列。おまけにトイレ、エレベータも。「それほどの催しじゃないだろ」。お互いに思ってたりして。■この「意外に混んでる」の思い、けさ別のある所でもちょっと感じた。その結果、首都東京に紋次郎当選。■以下同文。
1998年7月10日
■「投票に行こう」と筑紫さんが言ったので、7月10日は投票記念日。「投票とは気が重い行為だ。自分がたった一票の影響力しか持たないことを実感する時でもある」と。なるほどね。ニュース23は良いね、やっぱり。ディープ・フォレストも出たし。中田の強烈マスコミ批判もちゃんと伝えていたし。■以下同文。
1998年7月7日
■ぶつぶつ言いながら行く人、ぶつぶつ言いながら行かない人、さほど考えることなく行かない人、さほど考えることなく行く人。そうか、煎じ詰めればこう分類できるのだ。と気が付いたせいで、このうちのどれかを選ぶという主体性が浮上してしまった。掲示板のどの顔を選ぶのかよりも、こっちはもうひとつ厄介だ。■「マスコミを通じて何でも話せる日が来る」ことを、僕も冷やかしでなく祈っていますよ。しかし、それだったら何でも話せる自らのメディアですら、移籍のことは何にも話さないのは何故だ。「何でも隠せる」メディアに比べたら、「何でも暴ける」メディアの方が、まだ好きだ。■以下同文。
1998年7月6日
さらさら、さらさら。■以下同文。
1998年7月5日
■渋谷ブックファーストへ。リトルモア創刊一周年記念で内田也哉子、しまおまほ、貞奴の座談会。「どういうつもりで皆さんいらっしゃったんでしょうね」と3人。いやまったくどういうつもりで行ったのだろう。でも面白かった。■その後リニューアルのHMVへ行くと、中にあるFM局のスタジオに、なんとディープフォレストのメンバー。店内から外の雑踏へ。にこやかなおじさん二人が紛れていった。■人物をナマで切り取る渋谷というメディア。流動する本やCDもまた同様の印象。■以下同文。
1998年7月4日
■休日家にいる間は、たいてい横になっている。睡眠と本読みとテレビが溶けあうような横生活時間。■以下同文。
1998年7月3日
■地下鉄に一人座ってできることと言えば、せいぜい読書と人間観察くらいかと思っていたが、先日夜、半蔵門線で隣の女性。「第1学年保健体育期末試験」を脇目も振らず採点していた。「ガン、脳卒中、心臓病」「○」。赤のサインペンを動かす手際の良さ。■以下同文。
1998年7月2日
■就寝前。エアコン、蚊取り器に読書灯。コンセント2つで、どれを外すか、迷う7月。■僕は戦争に行きません。
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