小熊英二 『〈民主〉と〈愛国〉』

      


戦後思想はずっと一本道だったかと思いきや、どうやら五五年体制と六〇年安保闘争のあたりで大きくねじ曲がったらしい。私などが「戦後思想」と聞くとつい鼻で笑ってしまうのも、魂が抜け硬直化したあとの戦後思想しか知らないせいだという。「愛国」や「民主」も今やゾンビだ。おまけに敵と味方に別れてしまい、もとは双子の兄弟だったなんて誰も信じてくれない。そこでこの書物は、戦争に破れた日本の人々が本当は何を思ってきたのか、一から丹念にたどり直す。

私は半分ほど読んだ。序章、第1章(戦時の社会がどれほどひどかったか)、第2章(主に丸山眞男)、第3章(敗戦直後に巻き起こった天皇の戦争責任論)、ずっと飛んで、第12章(六〇年安保闘争)、第13章(全共闘とそれにつながる世相)、第14章(吉本隆明)、第15章(江藤淳)、第16章(ベ平連の鶴見俊輔と小田実)、そして結論の章。そのかぎりで言うが、取り上げられた論文や資料は膨大で、いやほんとに大変な作業だったろうと思う。じゃあ読むのも大変かというと、そうした文言と事実が「なるほど、そんなことを言うのはそんなことがあったからなんだ、なるほどなるほど」と誰もが頷いてしまうレベルまで実にスムーズに繋げているので、さほどではない。むしろ辞められない。

著者の結論はこうだ。

《新しい時代にむけた言葉を生み出すことは、戦後思想が「民主」や「愛国」といった「ナショナリズム」の言葉で表現しようと試みてきた「名前のないもの」を、言葉の表面的な相違をかきわけて受けとめ、それに現代にふさわしいかたちを与える読みかえを行なってゆくことにほかならない。それが達成されたとき、「戦後」の拘束を真に乗りこえることが可能になる。そして本書を通読した読者にとって、そのための準備作業は、すでに終わっているはずである。》

《そのとき、その「名前にないもの」に結果として与えられる、仮の名称がどのようなものになるのかは未知である。そして、「それをもなおナショナリズムと呼ぶかどうかは各人の自由としよう(丸山眞男)」。いずれにせよわれわれは、この「名前のないもの」を、過去において求め、現在において求め、また未来においても求めているであろうことは、確かなのである。》

これはつまり、「はあ?民主と愛国の戦後思想? ぜんぶくだらないよ、そんなの」だった私が、「え〜と、今言いたいことはですねぇ、そうですねぇ、戦後のですねぇ、思想ってのが、民主っていうのかな、それと愛国だってことなんじゃないかな、うん、すばらしいですねぇ」と(加藤淳さん風になってしまった)、なぜか知らぬが読前と読後で私はまったく同じ言葉を使っている! でもいま私のなかに満ちているのはまったく新しい意味だ! という驚きが可能ということだ。それがどういう実感かを味わいたければこの本を読むべし、ということになろう(私は通読していないわけですが)。

ここまでは一般的な紹介。以下は個人的な感想。

丸山眞男。あのひどい戦争のあとに起こるべくして起こった思想の「ど真ん中直球」というのが丸山眞男なのだろうか。

腑に落ちる鶴見俊輔と小田実。かたや、胸をすく吉本隆明。そんな印象をそれぞれの章に抱いた。江藤淳の章は、なんだか精神分析を受けているようだった。

「広義の同胞愛としてのナショナリズムを全否定するかどうか一考の余地がある」という著者のまとめはとても常識的な線と思える一方、「例外的に、あらゆる公を批判した」のが吉本隆明だとも言う。

吉本の章を読んでいる最中は、そうした思想が私の血管に直接ドクドク入り込んでくるようで、ああこれは吉本隆明の本を読みたい! 読まなきゃ!(というか、すっかり読んでしまったみたいでもう読まなくていいか、だいいち自分で読むより誤解しなくていいんじゃないか)という感じだった。

とはいえ著者は、丸山、鶴見、小田をおおむね支持するのに対して、吉本隆明には批判的だ。もちろん、その吉本と鶴見らの思想との違いは詳しく説明されており、理解しやすかった。しかし、そのうえで、思想の個人的な好き嫌いみたいなものもあるようで、それがいったいどこから生じてくるのかを検証してみたいとも思う。

また、著者が序章や結論で繰り返し主張するのは、(最初に私が書いた風にいえば)「ねじ曲がったあとの戦後思想だけを根拠にして戦後思想全体を否定するのはおかしい」ということだ。まさにその例として序章でも結論でも批判されているのが、『敗戦後論』などを書いた加藤典洋だ。

加藤の文章自体はほとんど引用されていないのだが、著者のシンプルな主張からいけば、たしかに加藤は戦後思想の道程という事実を一部見逃していたかと思わせる。だとすれば、修正か反論を待ちたいところだ。

しかしそれ以上に、私としては、『敗戦後論』を読んだときに、さっきの吉本への共感に似た血管ドクドク現象があった(まるで戦争体験のごとく!)ので、論拠の誤りだけでその論述すべてが覆されてしまうのでは、あまりに寂しい。『敗戦後論』には、ここでいう論拠とは別にもっとややこしい動機が含まれている可能性もあり、そこもきちんと読み返すのがよいだろう。

これほど丁寧な論理と冷静な分析を積み上げた書物に対して、どんどん直観的で叙情的なことを述べていくのはどうかと思うが、もう少し。

「正しさ」の権化みたいな丸山眞男。「暗くよどんだ社会的底辺に息づく庶民大衆」なんて言うから、「あんまり威張るなよ」とぼやきたくもなった。が、丸山の大衆への蔑視は、実は戦時中の自らを含めた卑屈に対する徹底した嫌悪、というところに根があるようでもあった。理想を追及する高潔さばかりでない、どこか恨み節的な色彩は、悪くない。

それにしても、一貫性を貫き通し抜く鶴見俊輔。

《鶴見が嫌ったのは、戦後に親米に転向した保守政治家たちであった。鶴見は一九五八年には、「戦争について、『これはマチガイ』と権力をもった他国から言われ、『はいそうですか、では』といって再出発をちかう精神が、日本の思想にとって、もっとも有害なものと思う」「あの戦争を悪いと思わぬ立場にたつなら、ひきつづいて、見はてぬ夢を見続けることがよいのだ。自分が納得ゆくまで、ゆずってはならない」と述べている。》

これに惚れない奴は人間じゃない、とも言えるのだが。
‥‥でも、一貫性って、そんなに偉いのだろうか? 
‥‥見果てぬ夢がすぐ覚めたとして、それはそんなに悪いのだろうか?

丸山眞男の章で、市川房枝の話が出る。市川は意外にも戦時中の体制下で婦人委員となり、戦後は公職追放になったという。それはべつにいいのだが、そのことについて、こんなことを述べたらしい。

「ある程度戦争に協力したことは事実ですからね。その責任は感じています。しかしそれを不名誉とは思いません。例えば私の友だちなんかでも戦争になったら、山に入っちゃって、山でヤミでごちそう食べてた人がいるんですよ。戦争が終わったら帰ってきて、わたしは戦争に協力しなかったっていう人がいるけど、私はあの時代のああいう状況の下において国民の一人である以上、当然とはいわないまでも恥とは思わないというんですが、(その人より私のほうが)間違っているでしょうかね(いや間違っていない)」。

私は、市川が戦争に協力したという事実を不快には感じなかった。「不名誉と思わない」というのもそれでいいと思った。しかし、そのことについて述べているはずの発言を、山に逃げて戦争に協力しなかった別の人への批判につなげていく正義はイヤだった。

私にとって「戦後民主主義」という言葉に硬直ゾンビのイメージをまとわせるのは、こういう虫のよさなんじゃないかと、そのとき思った。

*ただし、市川の発言は、趣旨が不明瞭ともとれ、そのため( )内を私が勝手に補ったものなので、誤読しているおそれがあり、しかもこの発言自体が孫引きであるとのことなので、まあ半分仮の話として考えてほしい。

さてさて、このすぐあとに引用されているのが、こんな文章(1946年3月)だ。

私たちは程度の差はあつても、この戦争に於て日本に味方をしました。馬鹿な親でも、とにかく血みどろになつて喧嘩をして敗色が濃くていまにも死にそうになつてゐるのを、黙つて見てゐる息子らこそ異質的(エキセントリックとルビ)ではないでせうか。(略) はつきり言つたつていいんぢやないかしら。私たちはこの大戦争に於いて、日本に味方した。私たちは日本を愛してゐると。(略) 私はいまこの負けた日本の国を愛しています。曾つてなかつたほど愛しています。

こうした心情から「ナショナリズムとデモクラシーの綜合」という思想が生まれてきたと著者はみるのだが、それはさておき。市川発言のすぐあとにこれを読んで、今度はなんだかとてもいい感じがした。それはなぜか。

直面する戦争に対して個人の対応を照らし出す思想が、あるいは一般に思想というものが「〜しなくてはならない」「〜してはならない」という形をとりがちと思われるのに対し、この文章は「〜してもいい」「〜しなくてもいい」という思想の形をとっているからではないだろうか。「〜が正しい」ではなく「〜が間違っているとはいえない」という形といってもいい。

「戦争に加担してはならない」倫理ではなく、「戦争に加担しなくてもいい」倫理。あるいは、「戦争に加担しなければならない」理屈よりは、まだしも「戦争に加担してもいい」理屈を。私はどちらかといえば、そっちの細道が好きで、いつもそっちを探している気がする。

いや、こんなものは思想や倫理というより、ただの気分の違いなのだろうか。吉本隆明や加藤典洋の文章にひかれるというのも、そういうことなのだろうか。よくわからない。

ともあれ、この本が次々に引用してくる主張は、それを支える思想や倫理を読み取らせるのに十分な整理がなされているせいか、読み手はそれに共感できるかできないかを逐一問うてしまう。それが面白くて読み続けたともいえる。

ちなみに、上にあげた「私たちは程度の差はあつても‥‥」の文章を書いたのは、太宰治だ。たんに太宰だからいいと思ったのかもしれない。が、そうでもないかもしれない。

*ちなみに、この書物を手にしたときの日誌


Junky
2003.1.18

日誌
迷宮旅行社・目次
著作=Junky@迷宮旅行社http://www.mayQ.net