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▼日誌
    路地に迷う自転車のごとく

迷宮旅行社・目次

これ以後


2003.1.26 -- 相転移 --

●次々に浮かんでくる言葉は、ほうっておくと頭の中をごちゃごちゃに掻き回したり、頭の外へばらばらに飛び散ったりしてしまいそうだ。本に書かれた一本の長い文章をいつまでも忠実に辿ってみるのは、そうしている間だけは、言葉をどうにか落ちつかせ繋ぎとめておける気がしているからかもしれない。一冊を閉じてすぐ次の一冊を開かずにいられないのは、その隙を見せるのが恐ろしいのかもしれない。しかし、本はしょせん他人の頭に浮かんだ言葉を他人がまとめたものにすぎない。私が浮かべた言葉は私自身でまとめければ、言葉の氾濫は本当にはおさまらないのだろう。本当の恐怖は消えないのだろう。●とまあそんなわけで、あいかわらず机にへばりついてだらだら本を読み、たまにこうして文章を書いてみたりもする。しかしこのたびようやく固まってきたのは、自分の言葉ではなく、自分の腰だった。


2003.1.18 -- 慇懃かつ野蛮な芸人 --

●きょうは青山ブックセンターのイベント蓮實重彦『とことん文学を語る』へ 。とことんシリーズの4回目とのことだが、今宵のタイトルは『てけてん文学を語る』のほうがふわさしかった。我々のごとき無料聴衆馬の骨に同席を許し、「海カフ」「源ちゃん」「大江さん」文学なんぞを朗読までしつつ、与太とも恫喝ともつかぬ語りをかくも流暢にかくも懸命に続けている不思議な男。ふと、お前はいったい何者なのだ、何のつもりで何をやっているんだ、だんだんわからなくなり、ただただ手を合せて拝んでいた。●帰りは同じ方角だったので、蓮實先生の幌つき二輪馬車に乗せてもらった。途中、文壇バーに寄った。おれは先生の隣に座り、先生は水割り、おれは水を注文した。

小熊英二『〈民主〉と〈愛国〉』について。


2003.1.17 -- 塵芥 --

大道珠貴に芥川賞。「しょっぱいドライブ」は未読だが、デビュー作「裸」と近作「ひさしぶりにさようなら」は読んでいる。 ●「裸」の読後感を思い出そうとパラパラめくってみたところ、こんな一節があった。●《オヤの家じゃない、祖母の家でもない、別の場所で過ごす夜というのが、あたしは好きだった。高校へ行く途中に二十四時間営業のロイヤルがあり、そこのソファがふかふかで、ホットケーキを食べながら座った姿勢でねむった》。●この、ロイヤルホストを「ロイヤル」と略す感じ(ロイホと略すのでもない)が妙に引っ掛かった。こうしたみすぼらしい言葉が文学のフィルターを通り抜けて文中に持ち込まれることは皆無ではないが、そのまま小説全体に行き渡った例は珍しい。文学のキメとは対極にあるような粗雑な生活がなぜ小説世界として広がることが可能になったのか。そこに私は将来性を感じた。・・・って、なんでお前が選考するのよ。作品も違うし。


2003.1.15 -- 西歴03年、平成15年、戦後58年。 --

●机の上に小熊英二『〈民主〉と〈愛国〉』が置いてある。年末に図書館にリクエストしたのが回ってきた。たしか20人ほどの順番待ちと言われたはずだが、それにしては早い。だが、手にしてみると驚きの分厚さで、これはさすがに読み通すどころか鞄に入れて持ち帰る気力も失せた、という人がいたのかもしれない。まあそれは、戦後というのがあまりに分厚い歳月を重ねてしまったせいであり、しかたない。だがいくらなんでも、この分厚さをすべて踏まえて生きていかねばならぬのだとしたら、正直、弱ったことだね。戦後民主主義?戦後民主主義批判?おまけに戦後民主主義のリハビリテーション?となにもかもぼんやり一緒くたの私には。どこかにもっと短い区切りはないのか。たぶんない。だったらいっそ勝手に、私たちの日本は1982年「笑っていいとも」から始まりました、とかそういうことにしようか。そうすればもっと手軽で薄い歴史ですむ。いや、それすら長い。なにしろ5000回。羽賀研二が「青年」だったなんて、皆ふだんは思い出さないようにしているのだから。だからこそ小泉純一郎も、中曽根康弘が参拝した「靖国問題」など忘れたフリで「いいとも」と浮かれる。もちろん、「80年代中曽根の靖国」以前の『靖国』(坪内祐三)となれば、私たちはもっと知らなかったし、当然のことながら、その「靖国問題」や『靖国』にいたる、もともとの靖国にたどりつくには、とほうもなく面倒くさい作業が待っているのだ。誰もあの戦争を知らない、どころか、今や、誰もあの戦後を知らない。やがては戦争体験者のすべてが死んでしまう。そう遠くないその日には「誰もあの戦争を知らない」という嘆きすら消えうせてしまうだろう。誰もあの応仁の乱を知らない。●ともあれ、冷やかしのつもりで少しだけ読む。感想後日。

養老孟司『人間科学』。


2003.1.10 -- 「在らざる」作者、「在りすぎ」論者 --

●群像2月号に加藤典洋「テクストから遠く離れて」第2回。『海辺のカフカ』がなんであんなことになってしまったのか、それをどうにかして合理的に説明しようとする。むかし根本敬の漫画で、一家全員の惨殺死体が自宅で見つかり、こうなるにはこんな経緯があったとしか考えらないという、明らかに無理やりな推理を描いて笑わせる作品があったのを思い出した。●それにしても、加藤典洋の評論刀はあいかわらず切れ味が悪いのだ。だからこそ、まな板に乗せた『海辺のカフカ』や『ニッポニアニッポン』といった形状不明の動物を力まかせに切り込んでいく手つきや手応えが、いちいち感触として伝わってくる。これぞ評論の醍醐味だ。いつのまにか厨房は、飛び散る臓物と血痕で大混乱。●しかも、持ち時間のうち前半分は、高度で多機能な調理器具を念入りに点検し自らの包丁を研ぎ澄ましていくのに費しているところが、またすごい。その調理器具というのは、どうやら竹田青嗣名人から借りてきたもののようだが、ソシュールの記号論、クリプキの「ウィトゲンシュタインのパラドックス」、ラッセルの嘘つきクレタ人の話、不完全性定理、ラカンの論をベースにした換喩、といった豪華セットだ。この、規模からいえば超高層ビル建設用の大クレーンを駆使して、まるで、たとえば小っぽけな桂馬の駒一個だけを機械操作で摘みあげ、まな板ならぬ将棋盤の上にぎこちなく打ち込んで「はい王手!」といった試合運びだった。●正月早々、今や日本文学の校長先生ともいうべき人が、みんなちょっとどうかなと手をこまねいていたおませなチビっ子カフカ少年と、その韜晦する作者だけを相手に、自らはつゆ韜晦せぬ論者として髪振り乱し格闘する姿は、文芸評論のプライドと言えよう。いや素晴らしい。『海辺のカフカ』も加藤典洋もこうでなくちゃ。皮肉ではない。きょうは本当に文学が好きになった。●なお私はこの長い論文の半分しか読めず、さらに理解度も半分なので、0・5×0・5=0・25、話半分ならぬ話四分の一くらいと心得よ。

舞城王太郎について。


2003.1.8 -- 本のデザインがまたナイス --

↓この件、掲示板でのやりとりあり。

●きのうリンクした岡崎乾二郎インタビューは、「シンタグム」「パラディグム」という用語を調べようと検索したら出てきたのだ。いかにも(近過去の)現代思想っぽいそんな用語をなぜ調べたのかというと、中沢新一『雪片曲線論』を読んでいたからだ。では今どき『雪片曲線論』をなぜ、というと、実は柄谷行人『内省と遡行』を古本屋に探しに行ったところ、無くて、ふと目をやった100円のボックスに『雪片曲線論』があったので、身代わりというわけでもないが、懐かしい暇つぶし気分で買ったのだ。●標題作「雪片曲線論」の華麗なる論の展開は、「はいスタート」で滑降していくと加速する一方で途中転倒しないかぎり絶対止まれない面白さだった。転倒したのが「シンタグム」「パラディグム」だったのだ。●この論文全体を貫くキーワードはもちろん「フラクタル」(連続だが微分不可能、いくら細かくしても差異が産出されていく)ということになろう。しかし中沢の話は、空海の土木技術と密教から始まって、言語が主語+述語という型に嵌められることの不自然さ、原子の内部にはクリナメンというものがあってそれが原子の運動につねにズレを作り出しているのだそうでなきゃ宇宙は生成しないのだといった古典物理、ライプニッツの「モナド」、無限というのは自然数の無限と無理数の無限で濃度が違うというカントール、それでも足りずに、アメリカ先住民が映画カメラで自らを写したところ我々の映像文法とはまるで違うものになった、それに関してレヴィストロースの分析はかなりイイ線いってるがでもちょっと違うんだ・・・等々めくるめく千変万化。●柄谷行人や蓮實重彦、浅田彰と比較すると、今ではすっかり参照されなくなった感のある中沢新一だが、いわゆる80年代ニューアカデミズムの一般向け成果・遺産としては、この書物など最も良質の部類なのではなかろうか。知識は要求されるが、たとえば『内省と遡行』ほどには難解でないのがポイント高い。●しかしながら、きっと当時も言われていたのだろうが「この論文からレトリックを抜いたら何が残るんだ」と詰め寄られたら、どうしよう。「文章とはレトリック以外の何ものでもないんだから、それでいいじゃないか」。そんなこんなで十数年。●さてそもそも『内省と遡行』を読みたかった理由は何だったのかというと、もう忘れてしまった。


2003.1.7 -- 挽回 --

●あっという間に年が暮れたのはもう許すとしても、年が明けて早や7日とは一体どうなってるのだ。同じく、90年代がするするすると終わってしまって、感傷に浸る余裕もないまま、00年代までが驚くべきスピードでどこかへ駆け込んでいく。私はまたもや背中しか見ない。●しかし今日はやっと有益な日誌だ。偶然行き着いたこのページ、ぜひ読まれたし岡崎乾二郎氏のインタビュー「言語、以前と以後」(1999)。言語というのはもちろんものすごく不思議なのだけれど、それは正確にはどのように不思議なのか、それをどう言い表せばいいのか、といったことを、あまり努力せぬまま5年6年、考えあぐねていたと思う。私なりに「これは!」という見解に2回か3回は出会った。しかしこのインタビューには、極めつけといっていい指針が示されていると感じた。その5、6年の蒙(それどころかあと10年くらいそのままいきそうだった)が、ぱっと晴れそうな勢いだ。●岡崎乾二郎という名は、ごぞんじサイト「偽日記」などでしばしば目にするが、作品も著書も触れる機会がなく、どう凄いのか実感していなかった。しかしこのページを読んで、照準のあまりの正当さに唖然としてしまった。美術の分野でとても高い評価を得ている人のようだから、美術について考え抜くことがイコール言語について考え抜くことになった、ということもあるだろう。しかしそれ以上に、この世に無数にある多種多様な不思議、あるいは最も中核的な不思議について、岡崎乾二郎だけは、世間に流布する水準をはるかに凌駕する位置で、ことごとく思考できているのではないか。正月気分でちょいオーバーというのではなく、本当にそんな期待をいだかせる。●たとえば、そうだ、昨年は酒井邦嘉『言語の脳科学』を読んだ。この本は、脳科学による言語探求について、基礎も先端も惜しまず盛り込み、その可能性と限界を一般人が誤解しないよう丁寧にしかし媚びずに示してくれたようで、とてもありがたい一冊だった。しかし、読んでいる最中からどうもこれは私が感じている言語の不思議とは一筋ずれた話なのではないかという気掛かりがずっと抜けず、それでも言語研究についての理解はどしどし深まるので、う〜む私の不思議もこういうことだったということにしておこうか、いや結局実際こういうことだったのかな、などと流されそうにもなりつつも、でもやっぱりこれは違う話なのだ、と妥協しなかった。そうした私なりの不思議領域に真っ向から食い込んでくるのが、このインタビューだ。●このサイトを通じて、岡崎氏も講師を努めるBゼミという「場」が横浜にあることを知る。教育というインスタレーション、コレボレーションとでもいうような。こういう、企業的でもなく官立でもないパブリックな学校がもっと成立しないものか。●そうした言語の不思議ということなら、何度かここに書いた信原幸弘『考える脳、考えない脳』をまたまた挙げておこう。実はこのあいだ、さっくりとしたこちらの書評(wad's Book Review)を読んで、改めてさあっと視界が開ける思いをしていたのだ。


2003.1.1 -- ことしはよろしく --

●あけましておめでとうございますか。


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