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高橋源一郎『日本文学盛衰史』
読書しつつ感想しつつ(41)
 普請中
-----ネタバレあり。注意。

(40)    インデックス



きみが向こうから・・・

『日本文学盛衰史』の各章を彩った登場人物たちの
死亡記事が、年代とともに連なる。
カーテンコールのようでもあるが、
死者はもう新しい言葉を返してこない。
古井由吉以外は。

どの章も、文学者が次から次へと死ぬばかりで、
ついつい美しく沈みがちな気分に支配されてきたが、
それなりに本筋に沿った感想だったということにもなるか。

「されどわれれが日々2」を読んでいて私は、
島崎藤村がずいぶん長生きしたことを知って驚いたが、
ここでも、藤村は、
「日本近代文学の詩と小説の両方をその中央で駆け抜け、
 その同士たちすべてを見送った末」、昭和18年に没する。
しかし、死亡記事とともに掲載されているのは、
『第二回大東亜文學者大會』の報告だ。
明治の本当の終焉とともに、
文学と政治がここに接近、というか、
たぶん最悪の形で合致。
どうにも意地悪な巡りあわせを、全文引用する高橋源一郎。

いや、まだおしまいではなかった。
戦争が終わった翌年、
片田舎の山中で一人の医者が倒れて死ぬ。
伊良子清白。
ただ、死亡記事が一つも見当たらないという。
しかし、この小説を読み通してきた私たちにとって、
この人はもう知らないおじさんではない。

もちろん中上健次も知らないおじさんではない。
古井由吉もそれほど知らないおじさんではない。
というか、ご健在ですね。

 人類が誕生してからいままでにいったい何人の人間が死んだのか。問題は、誰も帰って来なかったことなのだが。残されるのは言葉ばかりで、だから、ぼくたちはおおいに死者を誤解する。だが、やがてぼくもまた誤解される側にまわるだろう。

しばしば「よくわからない」と感想してきたこの小説の、
いちばんの底に流れていたものがまた、
「誤解」という諦観であり受容だったのかもしれないと、気づく。

そして、この小説、最後の言葉は「悲鳴」だ。

 ぼくは瞑目する。
 すると、微かに聞こえてくる、滝壷の向こうに落ちていった一千億人の悲鳴。耳を澄ませば、その中に、確かに未来のぼくの悲鳴も混じっているのだ。

1 人間はみな死ぬ
2 言葉はみな誤る
3 この諦めを諦めきれない悲鳴こそが文学だ。

『日本文学盛衰史』の言葉を追いつつ、
私の感想もまた、こういう所に達してしまう。
このあまりに自明な結論は、しかし、
文学のあまりに自明な前提でもあろう。
自明?
・・・・いや待てよ。
私たちは、いったいいつ、
そんなことに気づいたんだっけ?


Junky
2001.6.21


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